今年の春、雲辺寺 山麓にブルートレイン が来るというニュースが四国や香川、全国版でも流れていました。
僕もブルートレイン移設のお話はブログを通じて拝見していて、一心発起クラウドファンディングをはじめられたことや、何度も九州に足を運び、打ち合わせをされていることを知りました。
最初は、ほとんどの方が無理なんじゃないだろうかと思ったように、僕も難しいのでは、と内心思っていましたが、山麓にブルートレインはやって来ました。
その後結構人気があるようで、少し落ち着いてから、と7月に行って見てきました。
今、この記事を書いている8月には「塗装をしました」ということなので、僕が撮った写真より綺麗になっているようです。
雲辺寺山麓にやって来たブルートレインのことに、ご興味のある方の参考になれば幸いです。
目次
九州から雲辺寺へ
どうして九州にあった寝台列車を雲辺寺へ?と思いますよね。
簡単にまとめると、2008年まで使用されていた寝台列車が、阿久根市で宿として利用されていたのですが、2014年以降使われなくなったのだそうです。
そのまま取り壊すのは惜しい、ということで、雲辺寺山麓へ移設し、遍路宿として活用しよう、ということです。
ウムム、なかなかまとめていてもすごい大事業です。
九州鹿児島の西、阿久根市と香川県観音寺市は、約500kmほどの距離があり、 ブルートレインと言っても、線路上を走行して来るのではなくて、トレーラーに積んで!、さらにはフェリーで!九州から四国へ渡るというからまたまたびっくりです。
ウムム、こんな長い距離を移送できるのだろうか、と思ってしまいますが、移送されてきました。
経緯は、NHK松山宇和島支局の方のレポートがよくまとまっています。
ようこそ四国へ!海を渡ったブルートレイン
WEB ニュース特集 愛媛インサイト|NHK松山放送局
どんな気持ちでブルートレインを待っていたかは、岸井さんのブログにも詳しく書いてあります。(僕もこの回拝見してジーンと感動しました)
ブルートレインついに四国へ
甲斐犬カイとアイコ岸井うどんのブログ
いろいろ見ていたら、列車をフェリーに載せるところ、雲辺寺の細道の切り返しが、難所だったのだそうで、まあ、行くとわかりますが、よくここを列車を積んだトレーラーが通ったな、と思います。
僕なんか自分で運転していても、わあ細い道だなあと思いますが、この道を通ったということなのです。

ちょうど左の白い屋根が雲辺寺ロープウェイの山麓駅です。

駐車場に車を停め、南側、瀬戸内海の方を見ると…、

わあ、ありました、青い寝台列車、ブルートレイン!
第二駐車場 山麓にブルートレイン

本当に九州から四国へやってきていたのですね!
写真やブログ、新聞記事では見ていましたが、こうやって現物を目の前に見ると、やはり本当に来たんだと思って感動します。
今いるところが第一駐車場で、芝生のベンチの横に、下に降りて行く階段があります。
これを降りて行くと、第二駐車場へ行けます。


僕は第一駐車場へ車を停めましたが、もちろん第二駐車場へ直接車を乗り入れ、停めることもできますよ。

雲辺寺山麓第二駐車場の北側の方、ちょうどその裏が道になっているの、ぎりぎりのところに、線路が敷かれ、二台の寝台車両があります。

山麓にブルートレイン なは
僕は特に鉄道や列車に興味があるという訳でもないのですが、せっかくなので、それぞれの車両を見てみたいと思います。

二台あるうち、南側の山側には「なは」のプレート。
奥の北側、海側には「せと」のプレートがありました

僕が歩いて来た方から手前にある「なは」から見て行きますね。

特急「なは」は1968(昭和43) 年、大阪から西鹿児島 (現鹿児島中央) 間で運転を開始した。 都市名を列車名とする特急の場合、ほとんどが始終着駅に関係しているものだが、この「なは」は、当時アメリカの統治下にあった沖縄の本土復帰を願って名付けられた。鉄道のない沖 縄を走行することはなかったが、鹿児島港から船に乗り継ぐことで沖縄へのアクセスの一端を 担っていた。
懐かしの特急:JR西日本 のHPより引用
なるほど、関西と鹿児島間を結ぶ列車だったのですね。
沖縄の都市「なは」と名付けられたのは、鹿児島から那覇に行くルートがあるからなのですね。

「DUET」と車両の横に書いてあります。
デュエット寝台というのだそうで、個室で二つベッドが並んでいる寝台列車だったのだそうです。
カラオケのデュエットは聞いたことがありますが、二人組、と言う意味があるのだそうです。

行き先は「西鹿児島」になっていました。

線路も何もない雲辺寺 山麓にブルートレイン があるのが、何とも不思議な気持ちがありますが、見ていると徐々慣れてきそうです。

ところどころ経年劣化で塗装が剥げていましたが、簡単に下地を縫ってあり、この後綺麗に塗装するのだろうな、という感じでした。(実際綺麗になっているようです)


山麓にブルートレイン せと
続いて、お隣ブルートレインせと。


本当はこのことが書きたいという気持ちもあったのかもしれませんが、僕は少年の頃、二度ほどブルートレインに乗ったことがあります。
そのうち、一度は四国、徳島の親戚宅へ行き、阿波踊りを観に行きました。
以前たらいうどんで書いた時ですね。
夏だったから、まだ自宅を出たのは暑い夕方でした。
普段帰省の際には、朝一番の新幹線に乗っていたので、夕方の東京駅に向かうことはありませんでした。sちょうどお盆の時期だったかか、結構人が多くて、出発の2時間くらい前に着いたような気がします。
朧げですが、地下のレストランかどこかで、食べたでしょうか。
普段は早朝で閉まっている地下街が、きらびやかだったのを覚えています。
20時頃だったか、「そろそろ行こう」という父親に連れられ、 東京駅のホームへ上がります。
当時普段であればもう風呂に入り、寝る前と言う時間で、弟はまだ小さかったから、列車に酔わないだろうか、と少し心配していました。
記念に写真撮ろう、というので、二人列車の前で並んで写真を撮ってもらいました。
早くブルートレインに乗りたいなあ、と待っていると、やがて、中から掃除の係の方が出て、少しずつ乗客が乗り始めました。
乗って驚いたのは、ベッドがいくつかあって、知らない大人と一緒でした。
やがて、ゆっくり、本当にゆっくりと列車が出ます。
新幹線はすぐにスピードが上がるけれど、ブルートレインはそうでもなくて、コトンコトン、という線路の音がずっとなっていました。
列車の車窓からは、きらびやかな街の光。
あれはどこだろうか、なんで光っているのだろうかとしばらく見つめていました。
このくらいの時代、煌めく電飾が一つの都会的な象徴だったと思います。
横浜や熱海、普段は停まらない駅一つずつ停まっていましたが、静岡のあたりで、眠ったと思います。
名古屋で停まった時、「停まったかな」と一度目を覚ましました。「なごやー、なごやー」とアナウンスを聞きました。まだ名古屋なのか、と目をとじ、京都や大阪は記憶にありません。
その後はもう岡山。
「もうつくから、おきなさい」
というので、起きましたが、この時が一番眠たかったです。
岡山と言っても、実際には宇野へいくので、もうしばらくかかるのですが、岡山を過ぎたら子どもたちを起こそうと決めていたのだと思います。
「まだ?まだつかないの?」
と弟は何度も聞いていました。
宇野駅から下りて、宇野港の宇高連絡船に乗ったのは、この時が最初で最後。
明け方だったのか、潮の香りがしたのを覚えています。
やがて、高松へ。
いよいよ到着かと思ったら、ここから徳島へ、列車に乗って向かいます。
いやあ、四国は本当に遠いところだ、と思いました。
僕も含めて、他の家族もほとんど記憶が薄れてしまいましたが、この場に立ってそんなことを思い出しました。
その当時の写真は、探しても出て来なくて、その前に「あさかぜ」に乗った写真を送ってもらいました。

この時には、食堂車でカレーを食べた気がします。
ボンカレーみたいな感じでしたが、当時はなんか高級な感じの食堂車、という印象があります。

芝生の匂いのある、この駐車場を前に、少し時と場所を超えて思い出しました。
ブルートレイン、いろんな思い出を運んできます。

すぐ隣は道になっていまして、トラックが一台が過ぎて行きました。
この後、車両をビニールハウスで覆うという予定なのだそうですが、どんな風になるのでしょうね。


線路の近くから列車を見上げることはそうそうないから、なかなか面白いものです。


バラストというのか石を敷いて、枕木、レールを作り、ここにのせたのですね。

もうこのまましばらく見ていたい気もしますが、いつまでもという訳にも行きません。
また季節が進み、様子が変わって、青空の時に見に来たいなあと思います。

ここに来たブルートレインは、ただの列車、車両じゃなくて、いろんな夢や思いが詰まっている気がします。
今後は「オハネフの宿」として、お遍路宿に改装する予定なのだそうです。
直接的に僕が何かできるわけではないけれど、香川に、観音寺にブルートレインが来たのだから、応援して見守りたいと思います。
雲辺寺山麓駅までは、観音寺駅から土日祝日に限りバスが運行されているようです。
(※その後2021年10月に問い合わせしたら、現在運行をやめているとのことでしたので、ご注意ください。)
10:15、12:15に観音寺駅を出る二便。
帰りは13:15、15:10となっていました。
※2021年7月の写真です。

豊稔池とあわせ、観音寺の新たな観光スポットになると良いですね。

※下の動画は、その後綺麗に塗装された後に見に行きました。
雲海亭
駐車場へ戻り、この後ロープウェイで上がろうと思ったのですが、その前にご飯を食べておくことにします。
雲辺寺山頂公園のカフェでも、と思っていましたが、この日はお休みでしたので、ここで食べないと、行って降りて来るまで何も口に出来ません。
戻る時間が遅いと、うどん屋さんも閉めてしまうので、もしお昼頃なら、ここで先に召し上がることをお勧めします。

昨年9月に来た際は週末で、とても混んでいましたが、この日はそうではありませんでした。
「こんにちは」と中へ入ります。


エアコンは付いていないけれど、そんなに暑さも感じませんでした。

雲海亭さんはセルフではないので、席に着き、注文をします。
僕はおろしぶっかけにしました。
注文すると、すぐに別のお客さんが入って来られました。
ロープウェイの発着時間によるのでしょうかね。
すぐにおろしぶっかけがきました。

刻んだおあげ、輪切りのレモン、おろした大根、ワカメ、そしてネギ。
なかなか面白いですよね。


つるつると食べられますが、もちっとした食感で、美味しかったです。
毎回、ああ、西の方のうどんだなあと思います。
雲辺寺ロープウェイ山麓駅から山頂駅へ
お会計をして、お礼を言い、雲辺寺ロープウェイに向かいます。
ちょうど山頂から1台戻ってきたところでした。

今回は特に乗車料金の助成金などはなかったので、JAFの割引を利用しました。
1割引きで往復1980円でした。
並んでいる方はおらず、僕が先頭で乗ることができました。

前回は黄色いゴンドラに乗車しましたが、今回は赤いゴンドラ。
特に色以外違うところはないけれど、まあ、違うのに乗れてよかったです。


約10分ほどで、雲辺寺山頂駅に到着です。

もちろん、僕も良い天気だったら、とは思うけれど、今年2021年の四国では梅雨が2か月以上も続いて、こんな曇りの天気がずっと続いていました。

雲辺寺山頂の気温は23度となっていました。

下の気温は30度くらいだったと思うので、ここの方が随分涼しいです。
上着は要らないけれど、半袖だと、少しヒヤッとするような感じです。

もうこのまま山頂のことを書いても良いのですが、また長くなるので、一度ここまでにしておこうと思います。
山頂公園や雲辺寺のアジサイはこの次に書きますね。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。