飛鳥宮跡と橘寺へ行ったことを書いておこうと思います。
石舞台古墳を見た後、そのまま歩いて飛鳥宮跡へ向かい、橘寺、珈琲さんぽというカフェで休憩しました。
奈良の史跡飛鳥宮跡や、その近くにあるカフェ「珈琲さんぽ」、聖徳太子ゆかりの橘寺のことにご興味ある方の参考になれば幸いです。
目次
石舞台古墳から飛鳥宮跡と橘寺へ
では、まずは飛鳥宮跡の場所から見て行きますね。
大きな地図は前回の石舞台古墳の記事を参照してください。
いろいろ行き方はあるだろうけれど、僕は最初に石舞台古墳の有料駐車場に停めたので、そのまま歩いて飛鳥宮跡に行きました。
事前に調べてあまり周辺に駐車場がないことや、道が狭いことは調べていきました。
行ってからわかりましたが、皆さんレンタサイクルを借りて自転車で移動している方が多かったです。
石舞台古墳より、万葉文化館や飛鳥寺、岡寺の方が少し近かった気もします。
僕はどうしても石舞台古墳から行きたかったので、それはそれでよかったです。
特にこだわり、というほどでもないのですが、石舞台古墳のあるエリアと飛鳥宮跡のある場所の距離や、地域の街並みなどを見てみたいと思っていました。
田畑ばかりだったらどうしよう、と思っていましたが、そんなことはなくて、カフェや雑貨屋さんなどが数件ありました。
奥さんも歩くのは嫌だ、と言いつつ、お店を見れるのでよかったと言っていました。
車で来られないほどには狭くないのですが、ほとんどの方が観光客で、自転車や徒歩の方も大勢いるから、ちょっと車は心配だったのですよね。(運転好きではない)
細い道を行くと、「明日香村郵便局」という名前だけで立ち寄りたくなる郵便局がありました。(日ようなのでお休みです)
その角を北へ向かいます。
少し広くなった田畑のような場所へ出ました。
日本中どこにでもありそうな田畑に山が見える景色ですが、ここに来るのは、長年の夢でした。
飛鳥宮跡にて
飛鳥宮跡はこの辺りから北に広がっているとのことです。
そして、その向こう側に見えるのが、おそらく「甘樫丘(あまかしのおか)」。
かつて蘇我氏が邸宅を構えていたという丘です。
この場所飛鳥宮跡は、僕らの世代であれば、645年の大化の改新、今は「乙巳の変」の舞台です。
甘樫丘からほど近いし、石舞台古墳からもそんなに離れていません。
なるほど、こうしたところに宮が置かれ、皇族や蘇我氏一族がいたのですね。
民家が点在し、その間に柱の跡を示す礎石があります。
かつての都なのに、今は何にもないように見えるのがすごいです。
想像しにくいけれど、もし今の中央区が、1400年ほど経って、こんな感じになっていたら驚くだろうなあと思います。
近所の方なのか、ご高齢のご夫婦がお散歩されていました。
かつての都、飛鳥宮跡を毎日散策できるなんて、素晴らしいですよね。
向こうの奥の方まで続いているのだろうか、行ってみたい、と思っていたら、ぽつり、ぽつりと雨が…。
駆け足で道を歩きます。
「きっとあの辺が飛鳥寺!」と興奮気味なのに対し、奥さんは「もう行こう、雨降ってきた!」と戻りたいご様子。
確かに、雨が強くなってきました。
何とか説得して、説明版のあるところまでは、と歩いて行きます。
石舞台でもぱらぱらと雨が落ちて来たので、自転車はやめておきました。(この後ずっと雨でした)
飛鳥宮跡の説明版
少し北へ進むと、屋根の着いた説明版らしき場所がありました。
令和三年に建替えられているので、まだ比較的新しい説明版です。
史跡飛鳥宮跡(あすかきゅうせき) 昭和四十七年四月十日定
飛鳥宮跡の説明版より
(旧称史跡 伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと) 平成二十八年十月三日 名称变更)
日本書記などには、推古天皇から持統天皇に至る七世紀の約100年間、歴代天皇の字がつぎつぎと飛鳥の地に造営されたことが記されています。昭和三十四年以来、この地ではおもに奈良県立橿原考古学研究所により発掘調査が続けられ、宮殿遺跡の様相が明らかとなってきました。
宮の中心部分は、塀で囲まれた東西約158メートル、南北約197メートルの長方形の区画(内郭)で、区画の内側では、大規模な掘立柱建物や石敷き広場などが見つかっています。ここでは、内郭の北東隅で見つかった建物の柱配置や井戸などを表示・復元しています。
内郭を囲むようにして、建物や柱列、石組溝などの 施設が営まれており、それらを外郭と呼んでいます。
また、内郭の東南には、エビノコ大殿と呼称される大規模な掘立柱建物を中心とする一区画があることも明らかとなっています。
これらの遺構は、木簡や土器などの出土遺物をもとに、日本書紀に記された斉明天皇の後飛島岡本宮(のちのあすかおかもとのみや)、および 天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)などに相当すると考えられています。
令和三年三月奈良県
もともと「伝飛鳥板蓋宮跡」という史跡でしたが、平成28年に「飛鳥宮跡」と名称が変わりました。
僕は知らなかったのですが、ここにはいくつかの宮が置かれていたそうで、天皇の代が変わるたびに、少しずつ場所が変わっていたそうです。
まだ発掘調査を継続しているので、また変わってくることもあるかもしれませんが、マップに飛鳥宮跡を映してみます。
大体、この範囲が史跡に指定されているようです。
蘇我氏、馬子、蝦夷、入鹿と、蘇我氏の全盛時代が終わった場所、ここで日本史の大事件が起こったと思うと、心躍ります。
中大兄皇子や鎌足らが歩いていたのかもしれません。
乙巳の変当日も、こんな風に雨が降っていたのでしょうかね。
いやあ、「何もない」と言えばそれまでですが、僕はこの風景に当時の情景を重ねて想像し、とても感動しました。史跡はどこでもそうですが、その跡が残るだけで、変わらぬ風景があるだけです。平泉の時、義経や奥州藤原氏を思い浮かべたように、飛鳥宮跡でも、当時のことに思いを馳せることができました。
もし、石舞台古墳が馬子の墓なら、という気持ちで歩くと、何となく蘇我氏の栄枯盛衰の歴史を見ているようで、趣のある道でした。
既に世界遺産の暫定リストに載っている「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」ですが、これは近いうちに世界遺産になるのでは、という気になりました。
珈琲さんぽ
実際には、飛鳥宮跡と橘寺に行った後に立ち寄ったのですが、飛鳥宮跡に近いので、ブログの構成上、先に載せておきます。
雨がしとしとと本降りになってしまったので、ちょっと休憩しようということになり、カフェを探しました。
先ほどの明日香村郵便局や旧明日香村役場の周辺に、雰囲気のあるカフェがありました。
僕らは歩いて来たけれど、駐車場もあるようです。
こだわりの珈琲のお店、という感じで、入る前はちょっとどきどきしますよね。
中へ入ると、満席で、ちょうどお帰りになる方と入れ替えで座れました。
人気のカフェなのですね。
「ランチは終了してますが、良いですか?」
「大丈夫です」
案内してくれた席は、大きな窓の一つ隣の席。
何と、目の前が飛鳥宮跡(いや、ほぼ宮の中では?)です。
雨がしとしとと降る春の景色で、とても印象的でした。
奥さんは季節のスイーツっぽい、苺のババロア、僕もシフォンケーキにしました。
僕は長年珈琲はそのままいただいていたのですが、結石対策で、「珈琲にはミルクを」と医師に勧められていまして、ここ数年ミルクをつけてもらうようにしています。
「よろしければ、まずはそのままお楽しみください」
とアドバイスをいただいたので、まずは、一口。
ああ、本当だ、美味しい珈琲です。
ババロアもシフォンケーキも丁寧に作られた味で、美味しかったです。
飛鳥宮跡から橘寺へ
僕は飛鳥宮跡を見たので、特に希望はなかったのですが、奥さんは、聖徳太子生誕の地にあるという「橘寺」に行ってみたいとのことなので、訪れてみます。
飛鳥宮跡からは徒歩で約5分ほど、すぐ近くです。
途中で、聖徳太子御誕生所という碑がありました。
背景に見える建物が橘寺なので、すぐ近くです。
僕は東門からはいりましたので、東門前の駐車場です。
ちょうどこの奥が石舞台古墳のエリアです。
こちらの受付で入山拝観料を支払います。
「境内外観は大丈夫ですが、本堂やお堂の中は撮影は禁止です。往生院の天井画を公開していますので、そこだけは撮影可能です。早咲きの桜が咲ていますよ」
と教えてくれました。
東門をくぐり、境内へ入ります。
ちょっと写真が下向きで全体を映せていないのは、動画からのキャプチャなので、申し訳ないです。
雨が降っていたので、傘を差しながら、ほぼビデオカメラで撮りました。
橘寺の年表と境内図がありました。
大きなお寺なのですね。
橘寺の境内
鐘楼に観音堂。
正面に本堂がありました。
本堂にお邪魔し、拝見してきました。聖徳太子の像がありました。
向かいには、経堂があります。
早咲きの桜が、少し咲いています。
受付の方が桜の名前教えてくれたのですが、二人とも忘れてしましました。
本堂の横に「二面石」という石があります。
高さ1m、長さ85cm、幅52cmの花崗岩の表裏に善悪2つの顔の彫刻がされている
二面石|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|明日香村|山の辺・飛鳥・橿原・宇陀エリア|歴史・文化|観光より引用
背を向け合って、面白い表情になっている石です。
何かの意味があるのでしょうかね。
来た道を東門へ戻るように歩いて行くと、右手に往生院が見えてきました。
橘寺往生院の天井画
境内に人はまばらでしたが、往生院では数組の方が天井画を観覧したり、撮影したりしていました。
わあ、天井画、とても多くの花が描かれていて、綺麗です。
天井に咲き競う花々 聖徳太子ゆかりの橘寺。往生院の格天井は格子の一つひとつが現代画家らが競作した260点の花の絵で彩られます。絵天井の下で写経ができます。
天井画と襖絵の小宇宙|祈りの回廊 2015年秋冬版|掲載コラム|祈りの回廊 [奈良県 秘宝・秘仏特別開帳]より
なかなか見上げ続けるのも大変なのと、女性がモデルになって撮影していた方がいたので、少し遠慮がちに撮りました。
綺麗な花の天井画を見れてよかったです。
聖徳太子も蘇我氏の時代の方なので、石舞台古墳から飛鳥宮跡、橘寺と巡れてとてもよかったです。
近くに「蘇我入鹿の首塚」や飛鳥寺、亀石なんかも見たかったのですが、天気の良い日にまた行ってみたいです。
この次は、高松塚古墳やキトラ古墳を見に行きました。
そのお話はまた次回に。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。