今回は 塩飽本島笠島街並み保存地区と塩飽勤番所 について書いてみようと思います。
瀬戸芸(瀬戸内国際芸術2019)の際に訪れたのですが、当時はアート作品を中心に紹介したので、この記事ではそれ以外の塩飽本島のことを書いてみようと思います。
もし塩飽本島の 塩飽本島笠島街並み保存地区と塩飽勤番所 のことなんかにご興味がおありでしたら、どうぞお読みください。
特に注意書きがない場合を除き、画像は全て2019年10月に撮影したもので、価格も同様です。またこの記事の文字数は全部で4638字です。
塩飽本島笠島街並み保存地区と塩飽勤番所のある本島の場所
まずは本島の場所から見ていきます。
香川県丸亀市の沖合で、瀬戸大橋のやや西側にあります。
マリンライナー(四国から岡山方面)に乗ると、瀬戸大橋の途中左手に見えるのが本島です。
この時には、JRの後、船で行き帰りしました。
高松から児島、児島から本島です。
帰りの船からの画像ですが海からだと塩飽本島はこんな感じに見えます。
塩飽本島の「塩飽」ってなんだろうと気になりますよね。
塩飽(しわく)の島々
本島、広島、与島、牛島、手島、小手島など、大小28の島々からなる塩飽諸島。「塩飽(しわく)」とは、坂出などで盛んだった「塩焼く」からきているとも、激しい潮流を意味する「潮湧く」からきているともいわれています。周辺海域は古くから海上交通の要衝でしたが、潮の流れが速いため船の操舵に長けた島民の航海技術が重宝され、戦国時代には塩飽水軍が活躍。江戸時代にも自治権が安堵され、独自の歴史や文化が育まれてきました。
塩飽(しわく)の島々|香川の島旅に出かけよう!|島旅|香川県観光協会公式サイト – うどん県旅ネット より引用
なるほど、「塩焼く」や「潮湧く」から「塩飽」となったと言われているのですね。
今回は島の北側「笠島重要伝統的建造物群保存地区」から見てみます。
笠島重要伝統的建造物群保存地区 吉田邸
笠島重要伝統的建造物群保存地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ずっと「かさじま」と思っていたけれど、「かさしま」と読むのですね。
簡単に言うと、昔の建物や街並みがそのまま保存されている地域なのですね。
街並みの中に入る手前に駐輪場がありまして、そこで皆さんレンタサイクルを停めておられました。
確かに、通りを見ていると江戸時代に迷い込んだような家屋や街並みが続いています。
奥の角を曲がると、テレビや雑誌などで時折見かける家がありました。
「吉田邸 築百年塩飽大工が建てた意匠の家」とあります。
入場料が大人300円、本日14:20までと看板に書かれていました。
伊藤若冲、円山応挙とも書いてあります。
どうする、入ってみる?という気持ちにもなりますが、どうぞここまで来たのなら何の躊躇いもなく入ってみてください。
入るとすぐに玄関がありまして、奥様が「どうぞ、中へ」と案内してくれます。
ちょうど本島を訪れる前にテレビで訪れていたのを見ていまして(結構頻繁にお見掛けします)、瀬戸芸にあわせて中に入ってみたいな、とは思っていました。
「どうぞ靴を脱いで上がってください」と案内され、靴を脱ぎ始めると、この玄関にも一枚板が使われていて、という感じで説明をしてくれます。
おお、確かになかなか立派な、なんて写真を撮っていると、後ろからも海外のお客様の声が。
一緒に中を案内してもらうことになりました。
なかなか撮りにくいところですが、こちらもよく見かけます。
立派で豪華なお手洗いです。
大正時代のガラスを用いた窓、欄間には刀の鍔がはめられていました。
畳の段差には松竹梅のうち「竹」があしらわれているのを教えてくれました。
「こういうところが昔の家屋の粋なところ」と説明してくれました。
確かに、そうですね。
お庭も手入れされていて、陽ざしが当たっていて気持ちがよかったです。
この後ろ側に伊藤若冲の鶏図がありましたが、こちらは撮影は禁止とのことでした。
その他にも隠し扉や、昔のアコーディオンなどを弾いてくれました。
この間のテレビ見ましたよ、と帰り際にお声をかけると
「急だったんでびっくりでした」
とおっしゃていました。
たくさんのことを詳しく解説してくださったので、とても印象に残った吉田邸でした。ありがとうございました。
フリッツ・ハンセン庵
吉田邸から少し東側に移動すると、少し変わった雰囲気の家屋がありました。
若い女性の方が案内していて、最初は瀬戸芸の作品かと思ったのですが、そうではなくて、休憩所になっていますので、よかったらどうぞ、とのことでした。
芝生のような椅子の様な、座るには少しもったいないようなチェアがありました。
よくよく聞いてみると、丸亀市でFritz Hansen(フリッツ・ハンセン)社の家具を販売している会社が、ここで展示されているのだそうです。
帰宅してから調べたら、CONNECTコネクトさんというのですね。
行ったことはないのですが、富熊の方にお店があるようです。
お洒落な雰囲気にしていたので、休憩というよりじっと眺めてしまいました。
我が家で実際に使いたいと思うかは別として、素敵な家具ではあるとは思います。
瀬戸芸の期間にあわせて作ったのだそうで、それ以降どうするかは、その当時には決まっていないとのことでした。
素敵な場所なので、観光スポットとして残ればよいのにな、と思いました。
海岸線に摩崖仏
笠島の街を離れ、港のある泊地区の方へ歩いて行きます。
途中、瀬戸大橋が前面に見える場所があるのですが、アーチに鐘がついていました。
鳴らすとカランカランと音がしていました。
確かに、もし若い方がカップルなんかで来ていたら、この景色を見て鐘の一つでも鳴らしたく気持ちも理解できます。
そして僕が本島に来るとやはり見てみたいと思うのはこちらの「摩崖仏」です。
大きくもないし、目立つものではないのですが、「岩に彫った」感があって、何となく見るのが楽しみな仏様です。
振り向くと仏様が見ている景色。
入り江のようになっていて、日に照らされた穏やかな波が砂浜に打ち寄せていました。
ここも本当に素敵なところです。
特に2019年は10月になっても温かい日が続いていたので、コスモスとひまわりなんかも咲いていました。
この後、海岸を抜け、国の史跡塩飽勤番所跡へ向かいました。
国指定史跡 塩飽勤番所跡
こちらも前は通ったものの、前回は中に入れなかった場所で、一度行ってみたいと思っていました。
香川県の国指定史跡はそんなに数が多くないので、是非一つずつ行ってみたいところです。これで8か所目です。
入口には、近所の方なのかお手伝いで受付をされていました。
中に入るのは有料で、大人は一人200円でした。
勤番所、どんなところなのか気になりますよね。
勤番所は塩飽諸島の650人の船形を束ねた4人の年寄たちが交代で政務を執った場所で、四方を土塀と立派な長屋門で囲まれた役450坪の敷地に本館や朱印蔵があり、信長・秀吉・家康から与えられた朱印状や海路図をはじめ、塩飽の歴史を物語る史料が展示されています。
塩飽勤番所跡|スポット・体験|香川県観光協会公式サイト – うどん県旅ネット より引用
なるほど、昔の役場みたいなところだったのでしょうね。
中に展示物があるようなので、上がって見てみます。
大きなソテツと、今上天皇が詠まれた和歌がありました。
受付の方が
「昔皇太子さまの時代にここに来られた時の写真がありますよ」
と教えてくれました。
中に入ってみます。
畳の間がいくつも連なっていまして、先ほどの吉田邸とはまた違った雰囲気の建物です。
展示はケースに入っていたり、壁にかかっていたりと、じっくり見学できます。
前の方にはボランティアガイドの方が、とても熱心に説明されておられました。
「咸臨丸の乗組員たちは…」と説明されていました。
もちろんぱっと見ただけでは、何かわかるものの方が少ないのですが、説明もあるので、わかりやすかったです。
信長や秀吉、徳川からの「御朱印状」。
歴史の時間に習ったのですが、実際に見るのははじめてです。
大事なものだっただろうから、大事に箱に入れ、蔵に保管していたのだろうと思います。
裏手にまわると、厳重に守られていたであろう蔵がありました。
建物自体がそれほど広いというわけではないのですが、昔からここは重要な場所だったのだろうな、というのが何となくわかります。
かまども残されていて、しばらくしたらご飯が炊けて出てくるのでは、という感じ。
大きな城などを持たず、こうした屋敷でいろんなことを決めていたのでしょうね。
塩飽本島の歴史を少し垣間見られてよかったです。
讃岐十景 木烏神社
塩飽勤番所から、港を経て、泊地区へ向かいました。
ここには讃岐十景の一つ、木烏神社があります。
前回も通った神社でしたが、「讃岐十景」という認識はなかったです。
確かこの辺に讃岐十景の石碑があったと思うのですが…。
ありました。鳥居の横に石碑を発見。
奥には「千歳座」という舞台があるというのですが、この時には気が付きませんでした。
讃岐十景の石碑はこれで3つ目。
(※この後讃岐十景巡りをしているので、その記事もよろしかったらご覧ください。)
ぽつりぽつりとまた探して行けたらよいなあと思います。
木烏神社の前には、 日本の海水浴場88選の一つ、本島泊海水浴場が広がっています。
夏にはたくさんの人で賑わうのでしょうね。
瀬戸芸以外の本島のあれこれを見てきました。
昔からの伝統的な家屋や、天領として栄えた島の様子がわかって面白かったです。
機会があれば、ぜひお立ち寄りください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。