世界遺産平城宮跡へ行ったことを書いておこうと思います。
奈良で宿泊した後、平城宮跡へ行きました。
広大な歴史公園になっていて、朱雀門や新しくできた大極門、第一次大極殿などを見学してきました。
国営平城宮跡歴史公園や世界遺産平城宮跡にご興味のある方の参考になれば、幸いです。
目次
世界遺産平城宮跡の場所と駐車場
喫茶Richで朝食を食べた後、ダイワロイネット奈良から車へ平城宮跡へ向かいました。
駐車場から出る際には、左折しかできなくて、一旦南へ行ってから右折します。
昨日通った道を今朝は左折し、しばらく行くと駐車場が見えてきました。
この道は混雑しているようで、反対側の車線は動いていませんでした…
事前に調べていた「県営奈良めぐり平城宮跡前自動車駐車場」に停めました。
実は平城宮跡には、いくつか無料の駐車場がある、というのは目にしていましたが、いずれも北側にあり、ちょっと行く自信がありませんでした。
有料であっても、さっとは入れてよかったです。
その他には4カ所ほど「P」がありましたが、いずれもどこから入るのかわかりにくい駐車場でした…。
広い駐車場に、僕ともう一台のみでした。(帰る時にはさすがに半分埋まってた)
こちらは大型バスの駐車場。
まだ時間が早い(9時過ぎ)のもあって、広くて空いていて助かりました。
そして、帰りに天平うまし館でお土産を購入したのですが、1時間の駐車割引が受けられました。2時間弱の滞在だったので、駐車料金は400円が割引されて200円でした。
きっと次回来た時もこちらを利用すると思います。
朱雀大路
駐車場に看板があり、→に従い進みます。
駐車場から、大きな通り(大宮通り)を渡り、平城宮跡歴史公園に行くのですね。
押しボタン式の横断歩道(割と長い)の向こうに、大きな建物が見えました。
ここに立ったら、何だか感激してしまいまして、一瞬奈良時代にタイムスリップしたような気持ちになりました。
「ここ朱雀大路だって」
「ふうん」
「朱雀大路、良いね、朱雀大路、声に出して言いたい単語だね、朱雀大路」
のような感じで、歩いて行きます。
幅は74mあり、南北には3.7キロある、平城京のメインストリートだそうです。
なるほど、僕はここに来て思ったのですが「平城京」はもっと広いエリアの都全体を差し、「平城宮」は宮中を指すのですね。
「平城京」と「平城宮」、この二つが音が似ている上に字も似ていて、とても間違えやすかったです。まだ間違いがあるかもしれませんが、ごめんなさい。
今いる場所は、まだ門前なのですが、今いるここ朱雀大路から朱雀門までの220mも国の史跡に指定されているのだそうです。
世界遺産平城宮跡 朱雀門
そして正面に見えてきたのが朱雀門です。
平城京の入口の羅生門から、74mもの幅をもつ朱雀大路がまっすぐ北にのび、その4km先には平城宮の正門である朱雀門がありました。
>朱雀門|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|奈良市|奈良エリア|歴史・文化|観光より引用
いまある朱雀門は、長年の調査と研究により、平成10年(1998年)、平城宮跡(世界遺産)に復原されたもので、東西約25m、南北約10m、高さ約20m、朱色に塗られた入母屋二層構造です。
平成30年3月に、この朱雀門前に、奈良県の観光・交流拠点として「朱雀門ひろば」が誕生しました。
なるほど、平成10年古都奈良の文化財として、平城旧跡が世界遺産に登録されましたが、その際に朱雀門を復元したのですね。
その後、平成30年に、今歩いてきた朱雀門広場が出来たということのようです。
「ガラン、ガラン」と金属の鳴る音がしていました。
屋根の端についている鐘、風鐸が風に揺れてなっています。
わあ、こんな感じで当時の方達も風鐸の鳴る音を聞いていたのでしょうね。
朱雀門から中央区朝堂院へ
朱雀門、潜れないのでまわりこみ、裏側へ出ると、先に線路と踏切が見えました。
わあ、歴史公園の中に踏切があるのですね。
近鉄奈良線、西に大和西大寺駅、東に新大宮駅があります。
もし電車で来られるなら、大和西大寺の方が近いのでしょうかね。
係の方もいまして、安全に通行できるようになっています。
午前8時から午後17時までの踏切です。
踏切を超えると、更に広大な敷地が見えてきました。
わあ、広い!平城宮、とても広い史跡なのですね。
ここが「中央区朝堂院」という場所です。
中央区朝堂院は、第一次大極殿院の南に位置し、天皇の即位、毎年の元日朝賀や外国使節に対する饗宴を行う儀式空間です。大極殿移転後も奈良時代を通じて饗宴などに使用されていたと考えられています。南北に2棟並ぶ朝堂が東西に相対しており、東西の朝堂に挟まれた広場を朝庭と称します。
平城宮中央区朝堂院朝庭の調査 奈良文化財研究所 平城宮跡発掘調査部より引用
なるほど、ここで即位の儀式などを行っていたのですね。
四方を囲むように回廊があり、それぞれに建物があったのだそうです。
この広場のように広い場所は「朝庭」というのですね。
朝庭、歩いて見たい。
ジョギングやウォーキングコースになっているのか、皆さん舗装された歩道を歩いていまして、あまりこの先へ進む方はいませんでした。
しばらく待っていると、一人の方がすっと真ん中を歩き始めました。
そうですよね、まっすぐ歩いて行きたいですよね。
世界遺産平城宮跡 大極門
歩いているとわかりますが、短い芝生のような草が生えていて、昨日までの雨でちょっと湿り気があり、地面もぬかるんでいるところがありました。
なるほど、地元の方は、それを知っているから、避けているのですね。
朝庭、奈良時代に戻ったような気分で歩けてよかったです。
正面に大きな門のような建物が見えてきました。
これも大きい、宮殿の南門「大極門(だいごくもん)」と名付けらています。
隣の建物も復元工事をしていました。
大極門(南門)は第一次大極殿院の正門に当たり、入母屋造(いりもやづくり)の二重門で、間口22.1m、奥行き8.8m、高さ約20mと朱雀門よりやや小さい礎石建ちの復原建造物です。
第一次大極殿院 大極門(南門)|奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット|奈良市|奈良エリア|歴史・文化|観光より
第一次大極殿の復原整備の一環として、2022年3月19日に落成しました。
大極門の近くには、復原工事を紹介するパネルを設置しています。また、西側にある復原事業情報館には大極門の扁額の実物大の模型も加わりました。あわせてご覧ください。
こちらの大極門は2022年、今から2年前に復元された、まだ新しい門です。
10年単位で、一つ一つ時間をかけて復元しているのですね。
本当だ、確かに朱色や白い色が、まだ真新しい感じで、昨日出来たかのようです。
扁額に使われている文字も、とても良いですね。
復元事業の概要をパネルにしていました。
こちらにも風鐸が付いており、天平時代(奈良時代)の音を鳴らしています。
この大極門の下から、ちょうど正面に第一次大極殿が見えました。
あの建物の南門が、大極門になるのですね。
ちょっとこれを見て思い出したのは、伊勢神宮のことです。
20年に一度式年遷宮を繰り返し、隣の場所に神様の居場所を移していました。
同じように、時間をかけて復元し、伝統的な技術や発掘調査を繰り返しながら、建物を作っている感じがして、感動しました。
実は平城宮跡も、ここと、同じ規模の広さを持った宮殿が東側に建てられています。
一度移った都をまたその隣の場所に移す、というのは、昔から繰り返されていたのかもしれません。
いずれこの復元した建物も朽ちていくだろうから、何十年もかけて、建て、また隣に移して、また戻ってくる、ということも、考えてみると合理的な気がします。
復元事業情報館
そんな風に考えていたら、復元事業情報館があるというので、立ち寄りました。
本当はちょっとお手洗いのつもりで立ち寄ったのですが、入ったら、見たくなりました。
ちなみに、平城宮跡歴史公園は24時間開放されているのですが、終日利用可能なお手洗いは、一か所だけという案内がありました。
確かに、トイレを我慢しながら、ここまで来て、時間外で使用不可となったら、心折れるかもしれないなあと思います。
復元事業情報館、この日は午後にも予定があったので、さっと見学します。
(その他の建物には入らない約束でした…)
大極門の上の飾る「鴟尾」。下からみるとわかりませんでしたが、大きいです。
扁額も大きくて、人の背丈より大きいです。
下から見上げた際には、なんとも思わなかったのですが、実際にこうやって作り方を眺めると、すごいなあと思います。
瓦の細工も、細かくて綺麗です。
これを見た時にふと思い出したのは、前日に見た高松塚古墳の金具です。
石室の中の木棺を留める金具、同じような細工でした。
大陸からの技術を取り入れ、何とか文化に取り入れようという心意気が伝わってきます。ここも少し感動したところです。
こちらが先ほどガランガランと音を立てていた風鐸の模型です。
これにも当時の伝統の技が今に続いてるようで、見ることができてとてもよかったです。
完成した建物自体は色は派手でも素朴な印象を持ちましたが、この細工を見て、やはり豪華絢爛な建物だったのだなあと見直しました。
復元事業情報館、お勧めです。
世界遺産平城宮跡 第一次大極殿
復元事業情報館から、更に北へ向かいます。
最期の建物「第一次大極殿」です。
わあ、門ではないので、中が吹き抜けではありません。
反対側か中にも入れますが、時間の都合で、今回は入りませんでした。
何となく、いつかまたもう一度来るような気がしているのですよね、平城宮跡。
建物を見て、ふと思い出したのは、薬屋のひとりごと。
架空の大陸王朝という舞台設定らしいのですが、こんな雰囲気ですよね。
内裏
「大極殿の中に入れるけど…」
「もう歩き疲れた…」
ということで、東側の敷地へ向かいます。
車が行き来している「みやと通り」という通りがあり、そこを渡ると東区に入ります。
わあ、更に人が少なく(誰もいない…)、先ほど同様広大な敷地です。
「内裏」という場所で、天皇のお住まいがあった場所だと言われています。
ここにはまだ建物がないので、礎石が残っているだけですが、またそれが良い雰囲気です。
遮るものがないので、風が吹いていて、その東には春日山。
奈良時代の方も、ここからあの山を眺めたのかと思うと、ずっと眺めていたい気持ちになります。
西側に第一次大極殿が見えたので、同じような建物がこちらにもあったのでしょうね。
何もない原っぱのような場所ですが、この辺りが第二次大極殿のあった場所だそうです。
北側を見ると、その先には古墳らしき小山が見えました。
宮内庁により「楊梅陵(やまもものみささぎ)」として管理されてる市庭古墳(平城天皇陵)だそうです。(実際の被葬者は不明)
正直に言うと、遺構の展示館や、この南にある特別名勝「東院庭園」に行ってみたかったのですが、奥さんは「もう行こう、何にもない」と言うので、戻ります。
今回はその広さや、復元した建物を見れたので、次回来た時には、庭園や資料館など、時間をかけて見てみたいと思います。
再び中央区の朝堂院に戻ってきました。
水が流れているのも、何となく良い雰囲気です。
先ほどの踏切ではない、みやと通りの踏切にきました。
ちょっと道が細く狭いので、やはり、大通りの駐車場に停めてよかったなあと思います。
少し歩くと、まだ復元工事中の一角がありました。
まだ、こうして発掘調査を続けているのだなあと思っていましたら、そして、僕が訪れた翌日、平城宮跡で新たな発掘調査研究の発表がありました。
(この写真の場所からさらに南のエリアでした)
木簡に「大嘗」、初出土 聖武天皇即位時に使用か―平城京跡の発掘調査・奈良
時事ドットコムより引用
奈良文化財研究所は19日、平城宮跡に隣接する発掘現場で、大嘗祭用の物資に付けたとみられる「大嘗分」と記された木簡が出土したと発表した。大嘗の文字が書かれた木簡が見つかったのは全国初で、聖武天皇の即位の際に用いられたと考えられるという。
木簡のごみ捨て場のような場所から、即位の儀式「大嘗」と書かれた木簡が出土したというニュースで、水に浸かって保存状態が良好だったことから、分析が出来たのだそうです。備前や播磨だけでなく、悠紀国(新潟、長野、静岡あたり)や安房国(千葉)という文字があったそうです。
これまで考えられた範囲より広範囲から、貢物があったということなのでしょうかね。
たまたま訪れた場所から、次々と新発見があると、何だか心踊るような気持ちになりますね。
朱雀門ひろば
最初に訪れた朱雀門広場へ戻ってきました。
ちょうど1.5時間ほど、広い敷地を歩いて巡りました。
平城宮いざない館、本当は中の展示を見てみたいのだけれど、次の予定があるので、外見だけです。
その前には棚田嘉十郎氏の銅像がありました。
この方が平城宮跡の発掘、保存に尽力された方なのだそうです。
彼の力添えで、僕らは今こうして奈良時代の、天平文化を直に感じることができるのですね。
しばし、手を合わせてお礼をしたほど。
こちらはレストランやお土産売り場のある「天平うまし館」。
回廊にイラストがあって、それが何となく奈良の時代という感じでよかったです。
奥の中庭には遣唐使船の復元模型、そしてその隣には「せんとくん」。
わあ、はじめて実物を見ましたが、なかなか可愛らしいキャラクターです。
インパクトもあるし、衣装なども色鮮やかで、よく見ると可愛らしいです。
717年多治比県守(たじひのあがたもり)が遣唐使として唐へ渡ったことが刻まれていました。
最後に遣唐使船の模型に行ってみたのですが、この日は改修中でお休みでした。
お土産を買い、駐車場の割引券をもらえるとのことでしたが、あいにく車の中に入れっぱなしでして、一度車に取りに戻りました…。
もし有料の県営駐車場をご利用になった場合には、駐車券を持って行ってください。
横断歩道が長いです…
さて、楽しく巡った平城宮跡。
ここには、もう一度行きたいな、という雰囲気があるので、奈良を訪れた際には、もう一度訪れてみたい、そう思える素晴らしい世界遺産でした。
さて、この後は桜井市へ移動し、お素麺を食べ、大神神社(おおみわじんじゃ)を参拝、山の辺の道を歩きました。
また、そのお話は次回にしたいと思います。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。