内海フェリーのブルーライン、洞雲山展望台へ上がってくる道、そして今回は、 岩窟の洞雲山 について書いてみようと思います。
記事では長々と書いてしまっていますが、実際の時間としては、2,3時間のことだから、さっと行ってさっとお参りして帰れるものです。
しかし、岩の中に観音様がいたり、洞窟の中にお堂があったりするのは、あまり見かけない光景だから、興味深くみてしまいました。
もし、これから小豆島八十八か所霊場一番札所洞雲山に行かれる方が、その道のりや岩窟の雰囲気を事前に感じていただけると幸いです。
目次
洞雲山展望台から 岩窟の洞雲山 へ
この段落が必要かどうかはわかりませんが、僕自身はここに行くまで、「洞雲山」という場所が、山なのか展望台なのか、それともお寺なのか、よくわからなかったので、書いておきます。
前回の記事で書いた洞雲山展望台と讃岐十景石碑は、隼山大師堂と観音寺奥之院から300mほど歩いて登った場所にあります。
一番札所、お寺としての「洞雲山」は、そこから約200m、平坦な道を歩いていくとありました。(この記事では岩窟の洞雲山としています)
その道は木々に覆われ、見上げても見えないのですが、その山自体も「洞雲山」と呼ぶようです。
洞雲山城跡なんかがあったのでしょうかね。
展望台から歩いて洞雲山へ向かいます。
“登り来た 入道雲の 遍路道”
讃岐十景碑の後ろに、句碑が一つありました。
なるほど、確かに夏の終わり頃なんかにここへ来れば、そんなきもちだろうなあと思います。
ウバメガシの森、という言葉がぴったりの木々のトンネルを抜けました。
この時にもとても気持ちがよい清々しいところでしたが、写真を見ていても、やはりいいところだなあと思います。
こうした木のトンネルみたいになっているのが、結構好きなのでしょうね。
木々のトンネルを抜けると、昔お手洗いだったのか、小さな建物がありました。
そこを過ぎると、目の前に大きな岩山が登場。
下から山を見上げた時に目に映っていたのは、この岩肌だったのでしょうかね。
よくよく見ると、くり抜いたような長細い隙間に小さな祠が一つ。
どなたかが、あそこまで行って祀られたのでしょうね。
そっと手をあわせました。
“合掌の 手の中にこそ 大師あり”
良い場所にそれぞれ句碑があるなあと感心するところです。
そこを先に行くと、何となくお寺が近くにあります、という雰囲気になってきます。
さすがに足も疲れて来たので、もしかして、ここが洞雲山だろうか、そうであってほしいという気持ち。
当たり前と言えばそうですが、カメラは目に見える景色のほんの一部分しか映しません。
見上げた山の高さや、奥行きみたいなものを一部分で表現するのは、とても難しいところです。
だからこそ、現地に行き、それを確かめるという楽しみがあるわけですが、洞雲山の岩山はまさにそんな感じです。
洞雲山の展望台から約五分ですが、道の途中もしみじみといた趣があって、とても良かったです。ついに洞雲山へ到着です。
洞雲山の境内
山門というのか、中へ続く階段の前には鐘楼がありました。
第一番霊場洞雲山、七福神霊場とも書いてあります。
繰り返しになりますが、僕はこの日ここに来るまで、歩いている方とはすれ違っていませんので、聞こえるのは鳥の啼き声と葉の擦れる音、そして時折木の実がカツンと落ちてきます。
何故だが、鐘をついておこうという気持ちになりました。
「クァーン…」
もし、どなたか周りに人がいましたら、今一人ここにも鐘をついた者がおりますよ、という感じで音を立てました。
バサバサバサっと鳥が飛び立つ音もしたけれど。
なかなか立派な鐘楼でした。
山門の前にはいくつかの石碑や小さな祠などがありました。
本当は細かく見て行きたいところだけれど、本当にキリがないし、16時10分のフェリー出航までに草壁港へ戻らねばなりません。
「龍法尼仰徳碑」と彫ってありました。
第三番観音寺奥之院から歩いてきて、今いる場所が一番洞雲山、この先に二番碁石山へと道が続いているようです。
向こう側からも上がって来られるようなので、双方向で行き来が出来るのですね。
碁石山というところも、サイトなどを拝見しているととても魅力的なのですが、今回は洞雲山です。
同行二人 有難や行くも帰るも尚るも我は大師と二人連なる でしょうかね。
住職の方が、こういうのがお好きな方なのでしょうね。
境内への階段を上って行きます。
こうしてみると、普通の建物に見えるかもしれませんが、背後には切り立った岩山がそびえています。
凄いところにお寺を作ったのものだなあと思います。
夏至観音のポスターもあるのですね。6/1~7/10とあります。
この時期にはまたすごい人出なのでしょうね。
大きな杉の木の間に階段があり、明らかに洞窟の中の方へと続いています。荘厳な雰囲気にのまれるような気になりました。
この先に一人で行っても大丈夫だろうか、と思いますが、行って見ます。(大丈夫でした)
岩窟の洞雲山観音像
写真では途切れていますが、もちろん、この写真の上の方にも、高い杉の木や岩山があることは言うまでもありません。
その一番下の場所が、ぽっかりと口を開けたようになっていて、あそこには、なにかあるのだろうと言う雰囲気を醸し出しています。
いくつかの灯篭、石碑、大きな木の間を上って行くと、
わあ、洞窟があるのですね。
ちょろちょろと水が流れる音が聞こえます。
細身の観音様だと思うけれど、あまり見たことない感じです。
「大師のお杖の水」というのでしょうかね。
山の上で、大きな岩場の中に、泉があって、という場所は見たことがないので、なかなか新鮮な感じです。
水が溜まっていますので、じっと見ていたのだけれど、周辺には誰もいなくて、洞窟の奥の方から何か出てきたらいけない、という気持ちになりました。(もちろん何も出て来ないのですが)
昔からこのは信仰の場であったのでしょうね。
岩陰に紅葉の赤と黄があって、全体が木と岩に包み込まれるような、とても気持ちよい場所なのですが、写真で全体を撮ることはできません。
その雰囲気は、やはり行って確かめるしかないようです。
石の階段があって、そこからその先へと抜ける道がありました。
大師のお杖の水の観音様、振り返ってみると、こんな感じでした。
足場がごつごつしているのも、何となく自然の中の岩窟という感じです。
もし階段を上らない道を行けば、こうした石の道を行くこともできました。
行けるけれど、できれば、大師のお杖の水の観音様は、ご覧になることをおすすめします。
その先を見ると、まだまだ岩山は続きます。
ムムム、前方の岩肌はすごい迫力です。
身がわり不動明王、めぐみ観世音菩薩、延命薬師如来の像が並んでいました。
それぞれ岩肌から見下ろすような場所におられるから、思わず手を合わせてしまいます。
洞雲山 仙雲窟の前で
屋根が付いた建物で、まわりを囲んで座れるような場所がありました。
両脇の狭いところを通り抜けていきます。
ここで、写真を撮っていると、背後からチリンチリンという音とともに、お遍路の格好をしたご夫婦が下から上がって来られました。
来られた人がいたんだ、と僕の長い沈黙も終わり、少しほっとしたところ。
最初は誰もいないから、マスクを外してしましたが(歩いたからね)、他人が来るなら着けなければいけません。
どうやら、それは向こうの方も同じようで、少し距離があるうちに、双方いそいそとマスクを付けました。(まあこの場所は外だけれども、一応です)
「こんにちは」
「こんにちは、どうぞお先へ」
なんて会話しましたが、僕は心の中では、このお二人が来てくださって、とても助かったのです。
何といっても、はじめて来たら、どこへどうやって行ってお参りすればよいのかわからなかったのです。
もし誰もいなければ、それはそれで勇気をもって、中に入っていったかもしれませんが、こんな感じで足場があるようなお堂は、なにしろはじめてだったので。
なるほど、ここがよく洞雲山の紹介で出てくる仙雲屈なのですね!
写真を見る度、どうして同じような写真になるのだろう、と思っていましたが、行って理解できました。
境内の幅が狭いので、ぎりぎり下がって写真撮っても、全体は入らず、一部だけになってしまうのですね。
なかなかこの場所の全体を表現するのは難しいところですが、階段を上って行きますね。
正確なことはわからないのですが、岩と段差の色が違うので、あとから作ったものなのでしょうね。
この階段を上っていると、どこからかお経の声が聴こえてきました。
なるほど、先ほどの方が参られているのですね。
しかし、洞窟の奥の方からなのか、姿が見えないから、どこからともなく響いてくるように聴こえます。
これは、と一度上がりかけた階段を下ります。
なるほど、説明を見ていると、この階段のところにちょうど夏至観音が表れるのですね。
お経が終わると、足音がして、下の階段からお二人が出て来られました。
お一人が身振り手振りで夏至観音はあの辺で、と説明されています。
すれ違う時に、
「ここまで軽で来たのですが、この先もそれで通り抜けられるのですか」
「いやあ、僕もはじめてで…。歩いて来たものですからわかりません」
そんな会話をして別れました。
しかし、この階段を上って、この奥でお参りをし、階段で下りてくるとは、どういう構造になっているのだろうかと思います。
まあ、考えていても仕方がないし、先に行かれた方は戻って来られました。
とりあえず、行ってみます。
岩窟の洞雲山 仙雲窟の中へ
先ほど上りかけた階段を再び登っていきます。
ちょうど上りきった場所の奥に祠がありました。
辯才天と扁額には書いてあるように見えました。
ここから下を見ると、何となく全体像がわかるかな、と思います。
中央にある、あの台に乗っている写真があるから、その向かい側、ちょうど階段の上あたりに夏至観音は現れるのでしょうね。
正面には、大きな岩があり、その間にお堂のような屋根のついた建物があります。
気になるものはたくさんあるのだけれど、先に進みます。
先ほどすれ違ったお遍路の方はもう既に姿は見えないから、次の札所へ向かった頃だと思います。
僕があれこれ気にすることではないのですが、もしかしたらこの扉を開けて中にはいるのでしょうか。
ムムム、世界一のパワースポットとあります。
他には誰も人の気配はしないものの、扉を開けて、
「やあ、世界一のパワースポットへようこそ!」
なんてことになったら困るなあと躊躇います。
いや、しかし、ここまでせっかく来たんじゃないか、お参りして帰ろうよ、と心の声が聞こえました。
どなたかおられますか、と尋ねたい気持ちもありましたが、静まり返っていたので、誰もいないようです。
もし先の方達がおられたら、ちょっと躊躇う気持ちになったかもしれません。
マスクをしているとはいえ、洞窟の中なので、他の方がいたら距離をとるのは少し難しいかもしれないと思いました。
お参りをし、この先は行き止まりではないのかと思ってしまいましたが、写真の左側の方に抜ける道がありました。
慣れていればそんなことはないのかもしれませんが、躓かないようにしなければいけません。真っ暗という感じではないですが、暗いので足元にどうぞお気を付けください。
お堂を回り込むようにもう少し先に行くと、灯りが見えます。
七福神がありました。
七福神霊場という石碑があったので、このことなのでしょうかね。
時折見かける洞窟の中の窓は、ここにあったのですね。
何が見えるのか、覗いてみたいですよね。
洞雲山の他の場所からは木々があるから見通しがきかないのだけれど、ここからは小豆島の景色が見られました。
まさか向こうから見ている時には、洞窟の穴から見ているとは、思わないですよね。
下に降りて行く階段ですが、ここが最も暗いところでした。
思わずスマホのライトをかざしてしまいました。
どうぞ転ばないように、慎重に下りてください。
このまま下りて、少し動画を撮って帰ります。
時間はこの時15:15くらいで。
あら、草壁港に間に合うだろうかという感じになってきました。
帰り道にて
帰り道も、歩いて坂を下り、自転車で坂手港から草壁港へ向かいます。
もうこの写真を撮る辺りでは、足の筋肉が限界に近いかなという感じだったのですが、不思議なことにですね、身体の奥の方から力が湧いてくるような気がしました。
そういうことを感じるのは、あまりなくて、まあ、気分も爽快で元気いっぱいというのではないのですが、よおし、気を付けて下りて行くぞという気力が湧いてきました。
もちろん讃岐十景も見られたし、洞雲山もお参りできたという喜びみたいなのはあるにしても、元気が湧いてくる、という感じは予想していませんでした。
普段は僕はあまりこういうこと書きませんが、もし、何か落ち込むようなことが多い時には、もしかして洞雲山の毘沙門さんが、お力を貸してくれるかもしれませんね。
下り坂の楽で早い事と言ったら…。
登る時とは違う清々しさを感じます。写真を撮る時間も、もう必要ないので、落ち葉で滑らないように気を付けるだけです。
海が目線の近くまで来ているから、徐々に下りてきた感じがします。
振り返ると、そうかあ、あの山のとこまで行ったのか、と思います。
きっと坂手にお住いの皆さんは、この山を毎日目にしながら生活されているのだろうなあと思います。
高松では屋島や紫雲山を見るように、観音寺では高屋神社や雲辺寺を見るように、まんのうでは大川山を見るように、小豆島坂手のかがわさんたちは、洞雲山を見上げるのでしょうね。
坂手港から自転車を漕ぎ始めたのは15:45頃。
20分くらいで着くつもりで走り始めたら、結構ぎりぎりでした。
学校帰りの学生、フェリーの時刻にあわせて帰るハイキングのグループとすれ違い、フェリーに乗りました。
帰りには、他にも自転車があって、生活感のある感じでよかったです。
さすがに客室に入って座ると、ちょっとひと休みしたいという気持ちになりました。
あと、お腹が空いていたので、売店へ行くと鶏めしおにぎりがあったので、買って食べました。(写真は撮らずに食べてしまいました)
ひと息ついて落ち着くと、またフェリーのデッキに上がりたくなりました。
さっきまで、昼間はあんなに晴れて暖かかったのに、もう風が冷たくなっていて、屋外デッキに人はいませんでした。
まもなく出航し、ゆっくりとフェリーが高松港へ向かいます。
雲が出ているから、暗いのかな、と思っていましたが、どうやら日没の時間にも近かったようです。
三都半島を過ぎる頃、すっと暗さが増してきました。
雲の切れ間から月が綺麗に見えていました。
洞雲山の岩肌にも、あの月明かりが届くのでしょうかね。
しばらくすると前方に屋島が見えてきました。
そこへもう一台のフェリーが行きます。池田港へ向かうフェリーでしょうかね。
もうこの航路のフェリーに乗って小豆島を往復することはないかもしれない、と思うと、やはり少し寂しい気持ちになりますね。
ずっと外にいると、汗をかいた首元が寒くなってきたので、客室に戻ります。
夕方小豆島から帰るフェリーの中って、皆さん静かに休まれていて、行きとは違う独特の雰囲気がありますよね。
そろそろ高松港に近づいてきたようです。
今住んでいる場所だから、というのもありますが、高松港の灯りが近づくと、帰ってきたと少しホッとするようなところもありますね。
ブルーラインは湾内で向きを変え、港に無事接岸。
お昼の便で出て、半日だったけれど、もっと濃厚な長い時間を過ごしたような気になりました。
もう少し余裕があれば、という気もしましたが、フェリーと讃岐十景の石碑、洞雲山が今回の目的だったので、それはそれでよかったです。
もし小豆島に観光で行く機会がありましたら、是非洞雲山へも立ち寄ってみてください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。