なかなか書き進めるのが遅くて、今回の 特別史跡讃岐国分寺跡 を訪れたのが3月の中頃です。
ここに大きな史跡があることは知っていたけれど、僕は行ったことがなくて、讃岐十景碑を探すうちに、辿り着きました。
今回の 特別史跡讃岐国分寺跡 と、次回に書く札所の現国分寺は同じところにあるのですが、一つずつ独立しています。
今回はそのうち国分寺跡資料館と、史跡公園を巡った内容です。
もしかしたら、香川県が地元のかがわさんたちは、学生の頃に行くのかもしれませんが、四国唯一の特別史跡である讃岐国分寺跡のことにご興味がある方の参考になれば幸いです。
讃岐国分寺跡の場所
まずは場所から見て行きますね。
香川県のほぼ中心、今は高松市となっていますが、旧町名は国分寺町です。
字名も国分なので、もう昔から国分寺がこの辺りにありました、という地名ですね。
高松駅から行くと、車で約20分ほど。
旧道(きゅうどう、きゅうみちという人もいる)と呼ばれる県道33号線、通称丸亀街道です。
昔はこの道が坂出、丸亀に抜ける道路だったということなので、年配のかがわさんたちはこの道をとても好んでいた印象があります。
その理由を「前の車について行けばええから」と言っていましたが、僕はその感覚が未だに全く理解できません…。
前後左右に車がいない、いても車間を開けるというのが最も事故にあわないことだと思っているのですが、前の車にくっついて安心という感覚はどこからくるのか。香川最大の謎の一つです。
奥さんがこの日はいたので、駐車場が国分寺跡資料館にあるというので、行ってみます。(奥さんは訪れたことがある)
高松から行くと、マルヨシセンター本部を過ぎ、信号のある交差点を右折します。
資料館の横に駐車場があって、そこに車を停めました。
地域の方が集まっていたのか、この日は駐車場に何台か車が停まっていました。
そのすぐ西側に讃岐国分寺跡資料館の入口があります。
敷地にはいくつかの案内板もありました。
この讃岐国分寺跡資料館と史跡公園は隣接していますよ、という地図の案内。
隣には国分寺町自然と歴史のハイキングコースご紹介。
なるほどこの更に南には鷲ノ山の石舟石棺があるのですね。
少し新しい看板には、「盆栽の縁ゆかしい国分寺案内図」。
鬼無から国分寺の県道沿いには、造園や盆栽の看板が立っていて、盆栽街道のようになっています。
そして、この辺りを歩くと、盆栽だらけ、という感じ。
少し手前にJA香川県高松盆栽の郷があるので、それで建てたのでしょうかね。
牟礼や庵治が石の街なら、国分寺は盆栽の街。
同じ高松でも、それぞれの街の特色がありますね。
讃岐国分寺跡資料館は市の施設で、入館料は大人100円。
奥さんは来たことがあるので「えー、入るん?」と言っていたけれど、僕は行ったことはないから、見てみたいです。
讃岐国分寺跡資料館の展示
讃岐国分寺跡資料館
讃岐国分寺跡資料館|高松市のHPより引用
讃岐国分寺跡資料館は、特別史跡讃岐国分寺跡の保存整備事業の一環として平成5年に開館した資料館で、史跡指定地のおよそ東へ約50mの場所に建設されました。
発掘調査で出土した瓦・土器・金属器などを展示しています。
讃岐国分寺創建時の金堂模型(1/20)やイラストパネル等を使ってわかりやすく説明しています。映像ブースでは、アニメーションを取り入れた讃岐国分寺跡のVTRを見ることができます。
入館料を支払い、写真は大丈夫ですか、と尋ねると大丈夫とのことでした。
それほど広い展示ではないのですが、興味深いものがたくさん展示されていました。
まずは、金堂の復元模型。
説明ボタンを押すと、部屋全体に音声ガイダンスが流れます。
もちろん資料館には、この時僕と奥さん二人だけ。
なかなかこれは表現し難い雰囲気なのですが、これまで10年以上はほぼ傍らに子どもがいたので、こうした人のいない資料館に二人でいるのが久しぶりに感じます。
僕は一人だとこういうところに長い時間いるけれど、奥さんがいるので、駆け足で。
(全く興味がないらしい…)
特に天平文化すごいな、と思いながら見たのは瓦です。
かがわにはお土産のお菓子に瓦せんべいというのがありまして、もともと玉藻城の瓦を模した焼き菓子です。
和三盆の風味があって、とても美味しいのですが、とてもかたい…。
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昔から香川では何か瓦を大事にする文化があるのではないかと思っていましたが、こういうところにあるのでしょうかね。
見つけたのは金堂模型の鬼瓦。
これ、これ、一度見てみたかったのですよね。
あれは何年か前のこと、夏休みの小学生向け講座みたいなのに参加して、たまもんと鬼瓦の消しゴム判子を作りました。
今思えば、この写真の撮り方では反対でしたね…。
しばらく机にあって使っていたから、まあ、いつかこれを見た時に、あれこれ何処かで見たことがある、と思ってくれたらいいなあ。
軒丸瓦というのも展示されていました。
単弁八葉蓮華文軒丸瓦というのでしょうか。
なかなか素敵な文様です。
このまま、ずっとこんな感じで瓦について書いていると、終わらないので先に進みます。
どれも興味のある方(例えば僕)は、興味深く見ていられるけれど、興味のない方(例えば奥さん)は、早く出たい、となります…。
ここでは載せていないけれど、全部写真に撮って、家でつらつらと眺めています。
奈良時代、あまりよく知らなかったけれど、1000円以上前の人たちも、今と変わらない生活していたのではと思います。
入り口には、華麗な天平装束の展示がありました。
確か、時折これを来て行列のようにしているのをニュースで見聞きしたことがあります。
これも日本の伝統的な衣装として、普及すると良いですね。
最後に仏足石(サヌカイトでできているとのこと)を見て資料館を出ました。
讃岐国分寺跡史跡公園への順路
資料館から、そのまま続けて実際に史跡のある場所(史跡公園)へ行ってみます。
ここで少し驚くことは、一般の住宅街を歩いていくところです。
先ほどは盆栽がたくさんと言いましたが、オリーブ畑も広がっています。
そういえば、国分寺にはオリーブ畑がたくさんあると聞いたことがあります。
讃岐国分寺跡の傍にオリーブ畑というのは、なかなか香川らしい光景です。
資料館から西側へ歩くと、小さな案内の看板が見えました。
「史跡地←」と書かれた紫の看板があるので、この矢印に従って歩いていきます。
まあ、本当に普通の住宅地の中を歩いて行くので、本当にここに特別史跡があるのだろうか、という気もします。
しかし、角を曲がると、その先に入口のようなものが見れてきました。
やはり道順はあっていたようです。
近づいて行くと、急に周囲に民家がなくなり、広く見渡せる場所へ出ました。
看板が立っているので、ここから入っていけるのでしょうか。
なるほど、僕は今回資料館から来たけれど、史跡公園から資料館に行く場合もありますね。
特別史跡讃岐国分寺跡 に到着です。
まあ、資料館側から来ると、いきなり史跡が広がっているという感じ。
わあ、想像以上に広くて、芝生が綺麗な広場です。
こんな感じとは想像していませんでした。
まあ、訪れた季節も良かったのか、目の前の木には白い花が満開に。
梅かな、早咲きの桜かな、なんて言いながら史跡公園へ入って行きます。
讃岐国分寺跡史跡公園
中に入ると、芝生以外には特に何もありませんが、先の方へ目をやると、模型や壁のようなものがありました。
背景が一般の住宅地になってしまい、どこが何だかわかりにくいのですが、かつての讃岐国分寺跡の伽藍を再現した模型だそうです。
法然寺には五重塔でしたが、こちらは七重塔。
大きな門から高い塀が続き、先ほど観た金堂もありました。
もう本当に残念なことでありますが、音声ガイダンスが故障していました。
野ざらしになっているとそうだよね、という感じです。
ええと、ここは四国で唯一、全国でも63件しかない特別史跡でありますが、音声ガイダンスが故障していました。
ボタンを押すと「てんぴょうじゅうさんね…ブツッ」と切れてしまいました。
音声ガイダンスをBGMに芝生の史跡公園を撮りたかったのですが、誠に残念!
次回行った際には直してくださっているといいなあと思います。
国分寺、当時の讃岐文化の中心的な存在だったのでしょうね。
続けて塀の方へ近づいてみます。
先ほどの伽藍は十分の一の模型でしたが、こちらの塀は原寸大です。
おお、これは先ほどの単弁八葉蓮華文軒丸瓦!
やはりこうして並んでいると、素敵な文様です。
築地塀というのですね。
さらに堀があったというから、要塞のような感じでもあったのでしょうね。
僧房跡覆屋
そこから案内を頼りに僧房跡覆屋へ向かいます。
さく、さく、っと芝生の上を歩いているうちに、僕は以前同じような光景を見にしたことを思い出しました。
2019年の夏に平泉を訪れた時に見た毛越寺や、そばを通った無量光院跡。
山を背景にしてなだらかな平地にあるところや、何とも言えない長閑で時間がゆっくり流れる感じ。
きっとそういう場所を、この時代の方たちが、寺にとって理想的な土地として選んだのでしょうね。
こちらは鐘楼跡。
礎石を残すのみですが、立派な鐘楼が立っていたのだろうなあと思います。
もしかしたらしているのかもしれませんが、これはVRを使ったら面白いのではと思います。
数年前ですが、屋島で屋嶋城が復元された際に、タブレットかざしてVRで門をみました。
こういう感じで鐘楼が見えたら、なかなか楽しいだろうと思います。
その先には、体育館のような、柔剣道場のような建物が一つありました。
「中に入れるんで」と奥さんが言うので、後からついていきます。
なるほど、この建物が僧房跡なのですね。
僧房跡
特別史跡 讃岐国分寺跡|高松市のHPより
これまでの調査で最も特筆すべきものが僧房跡の調査です。僧房跡は、現本堂の北側に位置し、もとは水田でした。
発掘調査の結果、東西88m、南北16mの基壇の上に建つ桁行21間(84m)、梁行3間(12m)の東西棟礎石建物であることが分かりました。
「もとは水田でした」というのがすごいですね。
ガチャッと鉄の扉を開けると、中は倉庫のような感じでした。
しかし、何か物を置いたり、ということではなく、礎石がありました。
少し暗いので、入口付近に電気をつけるスイッチがあって、自分で付けることが出来ます。(明るくなるのに時間がかかります)
なるほど、発掘された遺跡を建屋で保存するような施設なのですね。
石棺なども野ざらしにされていることが多いので、これほど大事にされている礎石を見るのは、珍しい気がします。
僧房の生活についての説明があり、こちらは音声ガイダンスも動いていました。
音声ガイダンスは1:07くらいから。
朱と白の建物の中に、僧侶のオブジェがありました。
回り込んでみると、お経を読んでいる方と、
ずっと一点を見つめ、祈る方。
まあ、もちろん係の方などがいないからあれですが、中に入って間近に見られたらよいのに、と思います。
管理するならば、全体が有料(例えば協力金みたいにして)でもいいのではないかとも思います。
ひと昔前というか、昭和の感じを残す展示なので、それはそれで香川らしい素朴な雰囲気でよいけれど、これはもっとPRできる史跡なのでは、という気もしました。
史跡公園西側
その違いが僕にはよくわからなかったのですが、屋外にも僧房跡が続いています。
こちらは直接礎石に触れることができます。
立派な石で、同じような大きさのものが、綺麗に並べて配置されています。
大きな建物があって、それを支えていたのでしょうね。
史跡公園の片隅には、小さな祠。
地神宮という表示になっていますので、昔からの祠なのでしょうね。
ここから南へ向かう道が80番札所国分寺への道に繋がっています。
その途中には、掘立柱建物跡がありました。
写真の木々の向こう側が国分寺になるのですが、その境となっていて、ここからは向こう側を伺うことはできません。
史跡公園の一番端までくると、再びいくつかの看板がありました。
資料館は昔この場所にあったのでしょうかね。
実はこの場所が駐車スペースになっているのですが、その手前に「駐車禁止」とあるので、停めて良いのか、行けないのかわからない状態になっています。
おそらく私有地には駐車禁止ということだと思うのですが、はじめて来た方にはわかり難いですよね。
僕が考えることではありませんが、観光地には広くて安全な駐車場が必須です。
どこに車を停めるかわからなければ、皆さん来にくいもの。
そういう意味では、万人向けとは言えませんが、知っている方は知っていて訪れる、という観光スポットなのかもしれません。
四国のみちの案内板に、
五色台観光案内マップ、
これがあるということは、この特別史跡をある程度観光地の一つとして捉えているものの、どういう感じにしたらよいか、ずっと手探りを続けている、という感じです。
駐車場、そこからの動線、有料化、入口の案内所やガイド、飲食できる喫茶の併設など、なかなか市の事業では難しいと思います。
まあ、繰り返すけれど、素朴な昔からの感じも悪くはないので、とてももったいねいけれど、しばらくはこのままなのではないかなあ、とも思います。
この後、このまま札所の国分寺に行ってもよかったのですが、それはまた次回に、となりました。
もしよろしければ、後編みたいな次回もご覧ください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。