時々ではありますが、どこにも情報が載っていないようなところへ行ってみたくなることがあります。
そして、大抵これはいけない、と引き返してくるのですが、今回の 大坂峠古道 もそんな記事です。
うずしおロマンチック海道に行った際、近くの大坂峠について調べていたら、こんな内容を見かけました。
文化庁選定「歴史の道百選」
へえ、62番に讃岐街道―大坂峠越として、歴史の道に選定されているのですね。
そういえば、源平の合戦で、義経公もこの峠を越えて来たような、こなかったような…。
しかし、調べても調べても、どこにその大坂峠の道があるのか、はっきりしませんでした。
これは一度行って見てくるかな、というのが行ってみた理由です。
その入口で立ち止まり、引き返してしまったのですが、歴史の道百選大坂峠の古道(遍路道・旧道、県道とは違う)や、その周辺について、もしご興味がおありでしたら、どうぞお読みください。
大坂峠古道
まずは場所ですが、香川県の一番東側、徳島県との県境にあります。
近くに車を停められる場所はありません。
全くこの辺が観光地みたいな感じにはなっていなくて、食事ができるレストランとうどん屋さんがあるだけです。
僕はこの日も車で行きましたが、前回停めたうずしおロマンチック海道の傍に停めましたが、とても距離があって、国道は危ないので、お勧めしません。
香川県側に、どこか車が停められる場所があるとよいのですが。
大坂峠をご存知ない方もいるかもしれません。(いやきっとその方が大勢だ…)
文化庁ではこんな説明をしています。
大坂峠越は東かがわ市坂元と徳島県板野町を結ぶ阿讃の国境の峠道で、香川県側では「阿波街道」、徳島県側では「讃岐街道」と呼ばれる。昭和34年に海岸沿いに国道 11 号線が開通するまで、この峠道が香川県と徳島県を結ぶ主要道路であった。この峠道は江戸時代までに使われていた古道、明治8年に造られた旧道、大正10年に造られた新道がある(古道…0.6㎞、旧道…2.2㎞)。徳島県側では古道の登り口に藩政期の番所跡が残るが、ルートは不明瞭である。旧道には石畳や路肩石などが残り、当時の峠道の様子を知ることができる。
文化庁選定「歴史の道百選」62 讃岐街道―大坂峠越より引用
昔の讃岐と阿波、香川と徳島を結ぶ峠越えルートの一つだったのですね。
昭和34年というから、そんなに昔のことではないので、国道や高速がない時代、年配の方々はここを通って徳島と香川を往来していたのでしょうね。
さて、現地を歩いて行きますね。
この道が国道11号を西側に見た写真です。
左の角に「ビジネスホテルオーシャン」と書かれた建物があって、その奥に左へ向かう小さな道がありました。
はじめて来る場所だし、細い道なのですが、何となく僕はこの先では、という気がしまして、奥へ入っていきます。
正面の建物はデイサービスをされているようです。
人も車の気配もありません。緑の稲穂が風に揺れているだけ。
間違ったら引き返せばいいのだからと先へ進みます。
後から見たのですが、あの山に沿って県道は走っています。
そうすると、やはりこの辺に古道があるはずですが…。
人間はやはり広い道や安全な道を選びたくなるようで、本当は右に行きたい気持ち。
しかし、そちらは県道に向かう道で、左側のさらに細い道でした。
その先に白い棒のような見えました。
おお、ありました、大坂峠古道の案内。
丁石が東かがわ市の指定文化財になっているのですね。
平成29年(2017年)なので、この案内自体は比較的新しいものでした。
丁石と書いて、「ちょうせき」または「ちょういし」と読むのでしょうかね。
石に仏様が浮き彫りになっていて、二丁目とか大坂峠と彫られた文字がわかります。
後から見て知ったのですが、市指定の文化財としては「記念物大坂峠古道」という道そのものと「建造物 丁石」とに分かれているようです。
それで日本あるのでしょうね。
三丁目の丁石
ああ、よかった見つけられてよかったと帰ろうとしたのですが、先にちょっと道が見えていまして、もう少し進んでみようかなという気持ちになります。
こんな感じの舗装された道ならば、もう少し歩けますが…、
何度か行ったり来たりしてみましたが、やはりこの小さな川というか水路にかかる橋を渡って行く道のようです。
パッと見ると普通の道っぽく見えますが、車の通れない細さで、結構その先は鬱蒼としています。
人が一人行くのが精いっぱいという感じです。
その先には暗闇のような部分がありまして、さらにその先に何があるのかわかりません。
しかし人が歩いているような跡があるので、いけるのだろうな、と思い歩いて行きます。
この日はフードのついたパーカーを持ってきたので、ここで着ます。
水か何かが落ちてきても大丈夫なように、フードを被り、よし出発。
(そんなに大げさなものでもないが)
なんていうこともないJRの線路下のトンネルですが、水の流れや道の物体(結局何もなかった)が何かわからなかったので、ちょっとおっかなびっくり進みます。
まあ通ってみると、一人だったから暗くて怖いような気になったけれど、普通のトンネルでした。
おお、何かの看板がありますね。
大坂峠古道は本当にここでよいのだろうか、と思いながら来ていましたが、案内があるので大丈夫そうです。
植物が全体を覆い、もうすぐ元の木に戻ってしまいそうな感じではありますが。
こちらは三丁目と彫られた丁石でした。
もうこの辺りの石が苔むした感じと水の流れが心地よくて、しばらくここにいたい気持ちです。
案内が正しい方向を向いているとすれば、この方向です。
また踏み跡はありますが、知らない方の田んぼ、という雰囲気です。
もしどなたかおられたら、古道について尋ねてみようと思っていましたが、人の気配はありません。
しかし、小さな茶色い動物がシャッと道を横切って行きました。
ムムム、あの身のこなし、タヌキや何かでしょうか。
その動物に導かれるように?進んで行きます。
まあ、正直に言いますと古道どころかただの畑の畦道のような気もします。
しかし、その先には何となく森に生い茂る木々の淵に沿って、道のようなものが見えました。
この道が古道かどうかは全くわかりませんが、奥に続く道があります。
本当はこの木々の向こう側まで行ってみたかったのですが、これ以上は無理でした。
義経や江戸時代の方は、この道を通ったのかと思うと、当時から険しい峠越えだったのだなあと思います。
大坂峠遍路道(旧道)
先ほどの文化財の案内まで戻り、西の県道の方へ向かってみます。
正面からまた小さな動物がちょこちょこ歩いてきましたが、猫でした。
さっき狸と思ったのはこの猫だったのかもしれません。
狸と間違えてごめん。
舗装された県道1号線に出ると、文明に出会った感じがあります。
車で大坂峠を上るとこの道を行くことになるわけですが、なかなか僕は行きたいとは思えないところ…。
そのさらに西側の集落に行くと「右へ大坂峠遍路道」という立て札がありました。
おお、この先に別の遍路道があるのですね。
その先の家の軒先にも同じような案内があります。
先ほどの長いトンネルは何だったのか、と思うような短いトンネルをくぐります。
ちょうど特急が通り過ぎて行きましたが、なかなか近くで列車が見えますね。
なるほど、この遍路道が四国のみちに指定されているのですね。
JR讃岐相生駅まで1.6km、県境まで1.9kmとあります。
赤い矢印で遍路道を表示しているのでしょうね。
ちょっと覗いてみますね。
先ほどの古道に比べれば、断然道幅が広くて、たくさんの方が歩いている感じがします。
この遍路道とされている道が明治8年に作られた旧道にあたるでしょうね。
ええと、こうやって写真だけを眺めていると、なかなか風情のある歴史の道という感じなのですが、実際には耳元で「ブウウン、ブン!」という虫の羽音が飛び交っております。
できればこのまま写真を撮りながら、県境まで行ってみたいのですが、ちょっと無理でした。
写真をとろうとカメラを構えると、そこに蚊が1、2、3、4、5…。
これは久しぶりに通る獲物として、僕が狙われている?という感じでした。
かろうじて丁石を一つだけ写真に撮って引き返します。
でもきっと春秋の気候の良い時に、しっかり準備してくれば、気持ちのよいハイキングができるのだろうなあと思います。
地主神社社叢
見るべき道は見たので、もうこのまま帰ってもよかったのですが、地主神社という標識があったので、立ち寄ってみます。
なかなか来ることもないものね。
この神社の出入りのところに、男性がいまして、この日はじめてすれ違った方です。
こんにちは、ちょっとお参りさせてください、と声を掛けると、どうぞどうぞ、という感じ。
香川県自然記念物(地主神社社叢(植物))より引用
地主神社社叢は、150~200年生のウバメガシを主とした樹林で、わずかにホルトノキ、モッコク、モチノキなどがあり、林床はムベ、マンリョウ、ヤブコウジなどがある。この社叢は、ウバメガシの樹林といっても過言ではなく、かつての県東部における瀬戸内海沿岸の林相を物語る貴重な存在である。
指定日 昭和54年3月31日
所在地東かがわ市坂元字本村165番地
僕も全く知らなかったのですが、神社の社殿全体を覆うような植生を社叢というのだそうです。
そういえば、ここは神社全体が森の中に包まれたようになっていて、トトロに出てくる神社のようになっています。
もしかしてこの階段を上っていったら、大きな木があって、そこに穴が開いていて転げ落ちたりしないだろうか、と思いながら上っていきます。
確かにウバメガシというのか、両サイドに木が生い茂っています。
本殿自体はそれほど大きなものではないけれど、地元の方に長い間信仰されているのだろうなあというのが伝わってくる感じです。
きっと大坂峠を超えて行く前、そして超えて来た方もここで一旦旅の無事を祈願したのだろうと思います。
夜に肝試ししたらきっと怖いだろうね…。
下りていきますと、お一人高齢の男性が道にいました。
80を超えるくらいのお年でしょうか。ちょっと距離を取りながら話しかけてみます。
「こんにちは、大阪峠の古道を探してきたのですが…」
「うーん、向こう(最初に来た方向を指差し)の昔の道やの。もう向こうは、もう先に行けんじゃろな…」
「この道は遍路道ですか?」
「そうじゃ。遍路の札があるやろ。今でもこっちは行けるで」
「お遍路さんは皆さんここを通って行かれる?」
「そうじゃのう、来るんは来るけど、今は外国の人ばっかしじゃ。」
お礼を言って離れます。
やはり古道は途中で止まってしまっていて、道がわからなくなっているのですね。
何か仙人とお話しているような、味わい深い会話となりました。
失われた道のお話をありがとうございました。
南の方へ向かっていると道沿いに道標もありました。
閑古鳥旅行社というサイトの四国遍路のブログ記事
遍路60日目:讃岐相生駅~和歌山港フェリーターミナル(34.2km)を参考に文字を読んでみました。
右 大坂ごへ 一ばん四り半 三ばんより逆に
左うたつごへ一ばんへ三り余 大麻宮をへて
「逆に」とか「へて」のところがわからなかったので、とても助かりました。
海岸沿いに行き、鳴門市の卯辰越というルートがあるので、一番札所へ行くにはそちらの方が距離が近いよ、ということを示しているのですね。
この場所が昔の分かれ道だったのでしょうね。僕は大坂峠、君は卯辰越え、後々一番札所で落ち合おうというような、ことがあったかどうかは知りません。
でも義経も弁慶一行と一度徳島で別れ、引田で落ち合ったというから、この辺りには複数のルートが昔からあって、使い分けていたのでしょうね。
今はちょっと味気ないけれど、この交差点がその替りとなっているのでしょうね。
そのまま国道沿いを東へ進みます。
海の見えるうどんや
香川の西の端道の駅とよはまにうどん屋さんがあれば、東の端にだってうどん屋はあります。
その名も「本場さぬき うどんや」と、そのままです。
結構いつも昼時は駐車場がいっぱいです。
「当駐車場満車の場合には、道向い讃岐家の駐車場をご利用ください」とあります。
HPも一緒なので、同じ人がされているお店なのでしょうね。
もし家族で来ていたら海鮮を食べるのですが、この日は僕一人ですので、うどんを食べます。(いやもしかしたら家族で来てもうどんになるかも…)
お昼を随分過ぎ(13時過ぎ)ていたので、店内も混んでいませんでした。
そんなに気にするほど人がいるわけでもないのですが、一応壁を向いて一人で食べる席にしました。
なるほど、瀬戸内海を見ながらうどんが食べられるのですね。
この日も暑かったので、冷たいぶっかけにしました。
かきあげがあったので、一緒にいただきました。
お腹が空いていたので、しみじみと味わいながら美味しくいただきました。
食べ終わって店の外に出ると、水車がまわっていました。
ポンプでくみ上げた水でまわっていましたが、きっと先ほどの川のせせらぎでこれを回し、こんな感じで穀物をついていたのだろうなあと思います。
なかなか3つも木製の水車を回しているところはないから面白かったです。
この辺りは第二室戸台風被害を受け、護岸工事が行われたという石碑がありました。
さらに東へ少し歩くと、引田の観光案内板がありました。
向かいには昔コンビニがあったと思うのですが、今はなくなってしまいました。
こうして案内板を見ていると、引田にはまだまだいけていないところがたくさんあるなあと思います。
なかなか粋な文面の案内板ですね。
徳島から引田へ嫁いでくる時には大坂峠を通ることから「大坂は縁結びの道」とも言われていた
そうか、行商や遍路、行軍ばかりイメージしていましたが、もっと生活に密着した道路だったのでしょうね。
山を越えて、開けた瀬戸内海と島々を見て、引田に来たことを実感したのだと思います。
案内板にあった寿可多美乃地蔵(姿見地蔵)を探してあるきましたが、結局わかりませんでした。
もっと手前だったのでしょうね。
引田トンネルのの手前で、小さなお不動さんを見つけました。
新しい道が出来て、それぞれの道に物語があると思いますが、昔の古道がやはりあってもいいなあと思います。
歩きまわったので、暑くてバテバテでしたが、行けてよかったです。
歴史の道だから、是非整備して行き来できるような感じになると良いですね。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。