讃岐十景天川神社社叢 に行きました、なんて書いても、ほとんどの方には伝わらないだろうと思います。
僕も最初はどこのことを言っているのかさっぱりわからなくて、その前に行った美霞洞渓谷の帰り道には気が付かず通り過ぎてしまったほどです。
だから尚更書いてみたいという気持ちもあるし、またweb上でも情報が限られています。
ブログでは、なるべく現地に行って見たことを書くようにしていますが、よくわからずに行っていることもあるので、誤っていることがあるかもしれませんが、その点はご了承ください。
もし香川県まんのう町造田にある讃岐十景の一つ、天川神社社叢やその境内にある杉のことなんかに、もしご興味がおありでしたら、どうぞお読みください。
讃岐十景天川神社社叢 の場所
いつものように場所から見て行きたいと思います。
場所自体はそれほど難しいところではなく、香川と徳島を結ぶ主要な国道沿いにあります。
高松から車で行くと50分から1時間ほどで行けます。
いくつかルートはありますが、この日は国道32号線から首切り峠を越えて行きました。
場所はわかりやすいところなのですが、本当に国道沿いにあって、車を停めるところを探すのには、少し苦労します。
周辺はそれほど往来が多いわけではないのですが、国道はさすがにいつでも車が通ります。
いろいろ探して見たのですが、天川神社付近には、ここという駐車場所はありませんでした。
「だけれど、あなたは車で行てき、どこかに停めたのでしょ?」
と思いますよね。それはそうです。
では、続けてお読みいただいた方は、何となくわかるようにしておきますね。
これが天川神社社叢周辺のグーグルマップですが、近くにはゴルフ場とキャンプ場がありました。僕はゴルフはしないので、ゴルフ場には興味はありませんが「健康ふれあいの里」なんて書いてあると、ちょっと寄りたくなります。
野球場やオートキャンプ場、テニスコートなどの設備がある、結構大きな施設です。
受付の手前にも小さな駐車場がありまして、お手洗いの設備がありました。
この道を下って行きますと、「天満宮」と表示されている場所があるのですが、下の鳥居のところでしょうかね。
天満宮なので、御祭神は菅原道真公。学問成就、合格祈願の御利益があるそうです。
健康ふれあいの里の入口ですが、小さいながら大切にされている神社だなあという感じです。
僕がここから行こうとしている天川神社と関係があるのかはわからないけれど、「天」という字は同じでした。
下の方へ畦道が続いていましたが、ちょっと無理っぽいので、元の舗装された道を歩いて行きます。
少しわかりづらいかもしれませんが、白い点線の道を歩きました。
ちょうど行った時期には道路工事が行われていて、片側通行になっていましたので、隅に寄って歩きます。
この写真だけ見ると、何の変哲もない田舎の道と田畑ではないか、と言われそうですが、左右を山に囲まれたところに、のどかな秋の風景が広がっていまして、香川の、讃岐の昔の雰囲気を残しているような気がします。
国道から脇に入る小さな橋があって、そこから見ると青々とした川の流れが見えました。
ちょうどこの橋の袂に、道路工事の車が何台か停まっていました。
橋の読み方が書いてあって、「あまかわたかはし」とありました。
この場合「天川」は「あまかわ」と読み方は濁らないのですね。
橋を渡り、交差点から東側を見ると、すぐに大きな木々が見えてきます。
上を見上げると、案内標識にも書いてありました。
ああ、そういえば、車の中からこの案内は見たことがありますが、どこがどこなのか、よくわかりませんでした。
まず読み方がわからないものね。
では、現地に近づいて詳しく見てみることにします。
国道の真ん中に
国道沿いには、こんな感じで歩道もあるので歩いて近づいていきますが、もちろん普通はこの歩道を行く人はほとんどいないので、車が横をビュンビュンと過ぎて行きます。
特に大型の車が通ると風圧があるから、歩く際には煽られないように気を付けてください。
あと付け加えるとしたら、とても目立ちます。
カメラを持っていると、スピード違反取締か何かと間違うらしく(その気持ちもわかるが)、車内からじっと見つめられているのがわかるほど。
まあ、すぐそこなので気にしないで行ってください。
近くに行くとわかるのですが、対抗二車線の国道が、一度二股に分かれます。
時折こうした道があって、通るたびに、よほどこの場所はそのままにしておかねばならなかった理由があるのだろうなあと思っていました。
その道路向かいに天川神社と書いた看板が見えます。
このまま両サイドから車が来ていないことを確認してひょいと向こう側へ行ってもよいのですが、もう少し川沿いを歩きます。
もちろん何があるわけでもないのですが。
柵があって、その下には「三本杉橋」とあります。
なるほど、三本の杉があるのでしょうね。
道の中央部分には一本だけ大きな杉がありました。
これを避けるように道路を作ったのでしょうね。
奥に見える二本の大きな杉の木とあわせて三本杉なのでしょうかね。
反対側に渡ると、ますます森のトンネルに突っ込んで行くような気になります。
この写真だけ見ると、何本もの幹があるように見えますね。
山側のサイドは苔があって、滑りやすいのでご注意ください。
道の途中に石碑が置かれていますが、すでに丸みを帯びてしまっていて、彫られた字などはわかりませんでした。きっと古いものなのでしょうね。
讃岐十景の石碑
写真では限界がありますが、なかなか太くて大きな幹です。
車が来ないタイミングには、カタン、カラカラという木の実が落ちる音が響きます。
僕も帽子を被っていましたので、頭上の木の実にお気を付けください。
こちらの角度からの方が三本杉の感じがわかります。
幾つか石碑や案内板があったので、注意深く見て行きます。
こちらは「香川県自然記念物 天川神社社叢」の表示板。
まんのう町に合併する前には琴南町だったので、その琴南町の自然愛護区に指定されたという石碑です。
少しわかり難いけれど、国指定天然記念物天川神社社叢の説明もあります。
町、県、国、それぞれがこの地は珍しいところなのでそのまま保存しなければなりませんよ、と総力をあげていることがわかります。
この辺りには、貴重な植物があるから採取してはいけませんよ、と書いてあります。
これでは、さすがに国道も二股に分かれるわけです。
国指定の天然記念物は、香川県に11(烏骨鶏除く)ありますが、そのうちの一つだそうです。「屋島」や金刀比羅宮のある「象頭山」なんかも指定されているのですね。
社叢として指定されているのは3か所、そのうちの一つです。
この写真を撮っていると、もう一つ奥の方に立派な石碑がありました。
あれはもしや、
讃岐十景と書いてあります。
ちょっとした池のような水辺の奥に、ひっそりと建っていました。
まあ、どちらかというと、木々に遮られているような地味な場所ですが、確かにありました。
ちょうど池の奥の御神木すぐ脇のところです。
反対側に回ると石碑の裏が見えますが、大きなクモの巣とその主がいますので、近づいて見る際には、十分にご注意ください。
昭和2年に讃岐十景が決まったので、その当時ここは造田村だったのですね。
造田村と美合村が合併して琴南村になり、琴南町を経て、今のまんのう町となったようです。
それで「造田天川神社」と呼ばれているのですね。
天川神社社叢の奥へ
さて山の方に目を向けてみると、先ほどの杉の木と山の間に一本道のような長細い場所がありました。
僕はてっきり道路沿いの杉の木の奥は山だと思っていたので、少し驚きました。
何があるのか見てみたいですよね、行ってみます。
なかなか写真では伝わらないところですが、両サイドを背の高い木々で覆われる中を一人で歩く、という経験はあまりないので、少し緊張するところです。
もちろん地面には動物が土を掘り返したのかな、というところもありました。
途中には、山手側に小さな社が三つありました。
それぞれに神様を祀っているのでしょうけれど、どれも昔から大切にされているのだろうなあという雰囲気でした。
脇にはその深い山の方へ歩いて行くような道もありましたが、ちょっと僕には無理な感じでした。冒険心溢れる方にお任せします。
大きな岩もあり、荘厳な雰囲気でもあります。
一番奥には鳥居のようなものがちらっと見えました。
あの場所が一番奥になるようです。
どこまでも続いているのでは、と思っていたので、終わりが見えてよかった…。
奥の鳥居に近づいていくと、その向こうにも何かがあります。
最初はこちらから参拝する参道のようなものかと思っていましたが、そうでもないみたいです。
こちらが裏側、という感じがしますが、どちらがどちらかはよくわかりません。
鳥居の奥には台座のようなものがありましたので、御旅所のような場所なのですかね。
ここで行き止まりとなっていました。
(山の奥へ行けないことはないけれど、行きません…)
再び元の讃岐十景の石碑のところまで戻ります。
振り返ると、道路沿いで見た大きな杉の木が真上に見えました。
やはりとても大きいです。
国指定天然記念物 天川神社社叢
天川神社は社伝によれば天平二年(七三0年)の創始である。平安時代の歴史書「日本三代実録」に貞観六年(八六四年)に従五位を授かったとあり、由緒ある国史現在社である。
天川神社現地案内板より引用
なるほど約1300年前からここにあるのですね。
さらにこんな説明版もありました。
ええと、僕は何度も確かめてしまいましたが、ここは
「天川神社」で、この踊りは
「大川念仏踊」です。
「天」と「大」の字が違います。
そして「大川」と書いて、「だいせん」と読むようです。
ですから、読み方は大川念仏踊だそうです。
大川念仏踊(まんのう町)だいせんねんぶつおどり
大川念仏踊(まんのう町)|スポット・体験|香川県観光協会公式サイト – うどん県旅ネットより引用
県指定無形民俗文化財。聖武天皇時代の大干ばつのおり、国司が雨乞いの祈願をすると、1匹の蛇が龍になり、雲を呼び、大雨を降らせた。人々は歓喜して踊った。旧暦の6月14日に近い日曜日に大川神社、中通八幡神社、新生の龍王社、天川神社で大川念仏踊り保存会をはじめ、氏子が奉納している。
なるほど、この山の奥の方に大川山という高い山があり、その山頂近くに大川神社というのがあります。
いくつかの場所で踊るうちの一つが天川神社なのですね。
天川神社の社殿
凱旋記念碑という碑のある建物がありました。
不思議なことに、社殿の写真は撮っているのに、その周りの写真は一枚もありませんでした。なので、動画からのキャプチャですが、こんな感じです。
なぜこの角度から撮らなかったのかは自分でもわかりませんが、撮りにくい何かがあるのでしょうね。
もしかしたら、こちらの杉の木に目がいってしまうからかもしれません。
杉の木の傍には、創建千二百八十年記念史発刊の碑が奉納されていました。
1280年というのも凄い期間です。
道路から見えていたのは、この看板なのですね。
杉の下の灯篭は亀が支えていました。
鳥居は道路からすぐのところにあるので、この角度から撮るのが精いっぱいになります。
とても難しい漢字で書いてあるので、何と読むのかわからない、というのはあると思います。
玉垣というのか、囲いの部分が苔むしていて、とても良い雰囲気になっています。
道路沿いの歩道からすぐに鳥居があって、というのもなかなか珍しい感じです。
社叢というのは、どんな感じなのだろうと来てみましたが、建物が木々などの自然と一体化していて、長い歴史を感じました。
讃岐十景の中でも、特に素敵な場所の一つでした。
あっという感じで、通り過ぎてしまうことが多いのですが、もし近くに来ることがありましたら、どうぞ立ち寄ってみてください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただきありがとうございます。