讃岐國一宮田村神社にお参りしたことを書いておこうかと思います。
かがわ、高松の中でも、最も大きな神社の一つなので、これまでも何度か参拝していました。
しかし、広い境内に、様々な神様がおられ、なかなか時間をとってその全てを巡ることができませんでした。
今回はじっくりと表参道から本殿、その他の社殿、鳥居など、ほぼ全てを巡ってきましたので、讃岐國一宮田村神社にご興味のある方の参考になれば幸いです。
目次
- 讃岐國一宮田村神社の場所
- 讃岐國一宮田村神社の駐車場
- 讃岐國一宮田村神社の御旅所から表参道
- 讃岐國一宮田村神社の手水舎、相撲場、歳徳神
- 讃岐國一宮田村神社本殿
- 左近の桜、右近の橘
- 子育て布袋尊
- 田村神社の龍神像
- 田村神社の龍神伝説
- 宇都伎社姫之宮
- 田村神社 宇伎社本殿
- 田村神社 神池の十二支、七福神巡り
- 神池の周り
- 田村神社 嚴島社(宮島社)
- 田村神社 稲荷社
讃岐國一宮田村神社の場所
はじめての場所なので、田村神社の場所からみていきます。
田村神社は、高松市の市街地から南側、いろんな交通機関が交じり合う場所になるので、車でもことでん電車でも、バスでも行きやすいです。
高松駅、高松空港から、車で約20分。どちらも中央通りを南北に走るだけなので、行きやすいです。
最寄りの高速インターは岡山方面が「高松西」、淡路、鳴門方面が「高松中央」で、いずれも高速から10分程度です。
後ほど詳しく書きますが、田村神社専用の駐車場もあります。
僕は利用したことはないけれど、空港通りには、空港連絡バスのバス停「空港通り一宮」があり、そこから徒歩で5分くらいです。
ことでんの駅からも近く、「空港通り駅」か「一宮駅」が最寄り駅。
高松築港から来る方は「空港通り駅」、琴平からなら「一宮駅」で降りる方が多いかな、と思います。
駅からの距離は、ほんの少しだけ一宮駅が近いかもしれません。
行きやすいと思う駅から行ってみてください。
讃岐國一宮田村神社の駐車場
さて、多くの方が車で参拝されているので、駐車場が知りたい、という方が多くおられると思います。
初詣などの時期には臨時駐車場もできるほど多くの方で賑わいますが、そうでない時には、大体2か所ある駐車場に停められます。
特に名前はついていませんが、北側の鳥居の横から入る境内北側の駐車場と、県道から入る境内南側の駐車場があります。
北側駐車場は、ここしかない、という感じの入口なのでわかりやすいです。
南側駐車場は、「鹿角街道(かのつのかいどう)」香川県道172号川東高松線を南へ行き、「田村神社」の看板で右折します。
時間帯によっては交通量の多い道なので、十分気を付けてお出かけください。
讃岐國一宮田村神社の御旅所から表参道
車を駐車場に停め、ことでんの線路があるあたりまで歩きます。
昔は、線路を超えて、2キロ南の「天降神社(あまくだりじんじゃ)」が、御旅所であったそうですが、現在は線路の手前です。
こんな感じで大きな鳥居が建っています。
ここから北へ行くと境内があるのですが、遥か彼方で見えない…
田村神社、実際には南北に広い神社なのですね。
さらに150mほど進むと、道を挟んで二つ目の鳥居が見えてきました。
ここからが表参道となるようです。
さらに100mほど進むと「隋神門」が見えてきました。
隋神門の横から、「83番札所一宮寺➡」という看板が見えました。
札所のお寺で、昔は田村神社の別当でしたが神仏分離により、隣の敷地に遷ったのだそうです。
隋神門をくぐると、静かな境内の中に入ります。
讃岐國一宮田村神社の手水舎、相撲場、歳徳神
まず見えてくるのは、左手に「手水舎」。
田村神社のHPによると、龍神の伝説があり、手水舎にも龍がおられます。
社伝によると御神体の淵には龍が住むという龍神伝説がある。
袂井は百襲姫命がこの地に御来臨した時、里人の奉る烏芋(ごや)を食べてにわかに熱病に罹り、渇きをうったえられた時に侍女が袂を浸して水を奉った井といい、今日もなお、稲田灌漑の水源地であることから「田本井」(たもとい)ともいう。
花泉は百襲姫命が御手を洗われた所という。田村神社のHPより引用
百襲姫命が、泉を掘り当てたということなのですね。
そのまま参道を進むと、右手に立派な相撲場です。
その隣には、力石がありました。
ちょっと触ってみましたが、重くてとても持てない重さです。
その奥には境内図によると「古札場」とあります。
鳥居の扁額には「歳徳神(としとくじん、とんどさん)」とあります。
古いお札などを納めるのでしょうね。
讃岐國一宮田村神社本殿
まずは、正面に見える本殿をお参りします。
「延喜式内名神大社田村神社」とあり、手前の鳥居が本殿の鳥居です。
本殿
御祭神は倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命、五柱を総称して田村大神と申す。ご神体は奥殿深くにおわす淵であり、涸れる事無き水源をもたらす神として古より信仰を伝えている。
田村神社のHPより引用
倭迹迹日百襲姫命の他、4柱の神様を祀っているのですね。
奈良で箸墓古墳の「倭迹迹日百襲姫命」という文字を見た時に、どこかで見たような、と思っていましたが、田村神社だったのですね。
百襲姫命、奈良から讃岐にやって来られたという言い伝えが広く残っているのだそうです。
本殿の横には、「令和のお屋根葺替普及修繕事業」の寄付看板がありました。
左近の桜、右近の橘
本殿の前には「左近の桜」と「右近の橘」があります。
社領寄進の碑
その奥には「社領寄進」という碑がたくさん。
貞和2年(1346年)3月、管領細川頼之氏がこの社領を寄進したのだそうです。
細川勝元氏、松平頼重公など、讃岐を治めた錚々たるお名前が並びます。
代々の権力者から手厚い庇護を受けた神社なのですね。
弘安7年(1284年)、元寇の頃の時代に、後宇多天皇(ごうだてんのう)が「勅額寄進」とあります。
と、こんな感じで見ていくと、本当にきりがないので。先へ進みます。
子育て布袋尊
田村神社はかがわの「さぬき七福神」のうち「布袋尊」の神社です。
田村神社=布袋尊
滝宮天満宮=福禄寿
讃岐国分寺=弁財天
香西寺=毘沙門天
法然寺=大黒天
與田寺=寿老人
白鳥神社=恵比寿伸
こうしてみると、どちらかというと高松市より東側の寺社が多いです。
田村神社の境内には、たくさんの布袋尊がありますが、こちらは「子育て布袋尊」。
小さな子どもさんを連れた親子がお参りに来ていました。
子育て不動尊の隣が先ほどの「南側の駐車場」です。
田村神社の龍神像
田村神社にはじめて訪れた方は、大きな鳥居が並んでいるのを見て、少し驚くかもしれません。
最初に見た大きな鳥居が参道から続く本殿の鳥居で、その隣には「宇都伎社(うつきしゃ)」とあります。
宇都伎社
御祭神は大地主神、倉稲魂神 家内安全、生活守護の神としてお参りが多い。
田村神社のHPより引用
田村神社のすごいところは、このように神様がたくさん集まっておられるところです。
本殿では5柱を祀っていましたが、こちらでは「大地主神」「倉稲魂神」をお祭りしています。
他の神社では、その摂社、末社が離れてあったり、こんじまりとあったり、ということも多いのですが、同じくらいの大きさで隣にあって、面白いなあと思います。
たくさんの神様に一度にお参りできて、合理的と言えば合理的です。
田村神社の見どころ(たくさんあるのだが)の一つとして、たくさんの十二支像があることも挙げておきます。
ここだけではなく、何か所も「十二支像」があります。
ここは「宇都伎社の十二支」としておきます。
左右に6体置かれていて、その中央にも八角形の方位を示す台がありました。
星形の赤の表示が「恵方」を示しているのでしょうかね。
田村神社の龍神像
そして、鳥居の奥には、大きな龍神様!
龍神(金龍)
田村神社のご祭神は龍の姿で顕現なされたといわれ、この金龍には黄金を供えると長者になるという伝説がある。
田村神社のHPより引用
結構現代的なデザインで、ちょうどドラゴンボールに出てくる神龍のような龍神です。
龍神がいるとしたら、こんな感じだろうなあというイメージにぴったり。
足元には金小判がたくさん奉納されています。
あふれんばかりの小判と金の玉をつかむ龍神様、あまり見たことがないので、珍しくて面白いです。
少し見ていたら、若いカップルや、海外の(おそらく台湾の方)方が、興味深そうに見て、参拝していました。
天に昇っていく龍のイメージで、何だか見ているだけで運がよくなりそうです。
田村神社の龍神伝説
金龍の隣には、他の鳥居もあります。
田村神社には龍神伝説がありまして、そのことが記されていました。
「田村の神は水の大神 御神体は龍神なり」
淵の龍を見たら絶命するという言い伝えがありまして、今でも誰もそのお姿はみられないそうです。
雨の少ない讃岐、かがわでは、水源はとても貴重なので、龍神がお守りしているのですね。
特に名前がはっきりないのですが「龍神」とあるので「龍神社」としておきます。
鳥居の奥には、玉がころころ転がり、水が出ていました。
向かい側の足元にも龍神様の像がありました。
想像ですが、最初は足元にあった像のみでしたが、新たに社をつくって祀ったのかな、と思いました。
昔のものを残しつつ、常に新しいものを取り込んでいくと、こんな感じになるのでは、と思います。
宇都伎社姫之宮
鳥居と金龍像、龍神社を抜けると宇都伎社の本殿です。
さて、いよいよ宇都伎社の本殿か、と思いきや、その手前に「姫之宮」という鳥居があります。
姫の宮
縁結びの神様として信仰される小さなお社。
田村神社のHPより
なるほど、こちらは縁結びの神様なのですね。
「むすび石」という石も置かれています。
宇都伎社本殿
さて宇都伎社の本殿です。
本殿の正面と左右に、金色の七福神がおられます。
夫婦仲良く家庭円満の布袋尊と、小槌で運を開く大黒天、どちらも金色に輝いていて、ご利益がありそうです。
お参りをし、振り返ると、なかなか壮観でした。
十二支、金龍、水の龍神、姫之宮、七福神と、十数メートルの間にいくつもの神様がおられるので、たくさんの願いを叶えてくれそうな気持ちになりました。
そして、ここで終わりではなく「まだ半分も行っていない」というのが田村神社のスケールの大きいところです。
宇都伎社の鳥居からさらに西側へ移動すると、もう一つ小さな鳥居があります。
「神宮献穀斉田鳥居」という碑があります。
他の方のブログの写真を見ると、以前は木製の鳥居がここにあったようです。
その隣には「田の神さん」と多くの石像が置かれていました。
わあ、ここの石像や社は古いです。
きっと昔、田村神社の境内で崇敬されていた像なのでしょうね。
たまたま僕らは「現代的な石像」を見ているつもりですが、かつての「現代的な石像」であり、いずれ、今の龍神様もこうやって丸まっていくのでしょうね。
この石像を見ると、何百年という年月を感じることができます。
神池の十二支、七福神巡り
鳥居をくぐると、その先には再び「十二支像」があります。
その十二支像に中に「七福神」もおられ、この池の周りで「七福神巡り」をすることができるのですね。
まずは「寿老人像」がありました。
神池の周り
さらに奥へと進むと神池がありました。
訪れたのは5月だったので、神池の周りにはツツジの花が咲いていました。
橋があり、その袂には「投銭拝所」とありました。
その隣の像は?となりますが、宇賀神様でしょうか。
向かいには「六福かえる」「幸福かえる」という看板があります。
看板のお隣には七福神の弁財天。
そのお隣には、これまた新しい七福神の弁財天がおられます。
田村神社 嚴島社(宮島社)
ちょうど弁財天の右側に朱の建物が見えます。
嚴島社(宮島社)の説明がありました。
嚴島社(宮島社)
御祭神は市杵嶋姫命。芸能の神様として信仰厚い。宮島さんと呼ばれ親しまれている。
田村神社のHPより
芸能の神様、僕はそのまま横に歩いてしまいましたが、嚴島社へは、本来は正面のこの橋を渡ってお参りするのでしょうね。
嚴島社の隣には、「延命の神」「学問の神」と書かれた看板がありますが、樹木がかかって見えませんでした。
そのお隣には、七福神の「恵比寿神」。
続けて「大國神」がおられます。
その隣には「一打万福」という石があり、打つと「キーン」と良い音が響きます。
サヌカイトでしょうかね。
田村神社 稲荷社
鳥居が並ぶ一番西に朱の鳥居「一宮稲荷大明神」の鳥居がありました。
稲荷社
老若男女を問わず親しまれているお稲荷さま。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就のご利益がある。
田村神社のHPより引用
朱の鳥居が目立つのか、海外の方がたくさんお参りに来られています。
稲荷社の参道の途中に七福神の福禄寿がおられます。
朱塗りの鳥居がたくさん奉納されていて、海外の方が熱心に参拝したり、写真を撮ったりされていました。
こういう感じが日本的な神社のイメージなのでしょうね。
稲荷社なので、狐像がありました。
神池の周囲をぐるりと巡ると、十二支、七福神、嚴島社(宮島社)、稲荷社をお参りすることができます。
さて、この辺りで、ちょうど田村神社のお参りの中間地点だと思います。
赤線が今お参りした場所です。
後編は倭迹迹日百襲姫命の像なども見ていきたいと思いますので、よろしければまたご覧ください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。