與田寺の奥というタイトルが相応しいのかどうかはわかりませんが、東かがわ市の與田寺へ行った際の様子を書いておきます。
厄除の寺として知られているので、以前厄除祈願に行きました。
その時に、裏山の四国八十八ヶ所や西国三十三ヶ所のこと、石造宝篋印塔のことをあまり書けなかったので、その辺りを中心に書こうと思います。
與田寺の奥、裏山にある四国八十八ヶ所や西国三十三ヶ所のこと、石造宝篋印塔のことなどにご興味のある方の参考になれば幸いです。
目次
- 與田寺の場所
- 與田寺の駐車場
- 與田寺の仁王門
- 杉の木「古木のパワー」
- 鐘楼堂
- 修行大師像
- 與田寺本堂
- 本堂の横にも像
- 與田寺の奥へ 厄除石段
- 奥の院 與田寺の奥には奥殿
- 與田寺の奥 裏山の四国八十八ヶ所
- 與田寺の奥 西国さん、お四国さんの先に
- 與田寺の多宝塔
- 與田寺の奥 石造宝篋印塔はどこに?
- 與田寺の奥 石造宝篋印塔
與田寺の場所
まずは場所から見て行きます。
東かがわのとらまる公園の近くなので、旧大内町です。
「国道11号大内白鳥バイパス」という道路が出来ていまして、高松からは行きやすくなりました。
與田寺、なかなか読みにくい漢字ですが、「よだじ」と読みます。
与田寺としているのも見たことがありますが、同じ場所です。
與田寺の駐車場
公共交通機関で行けないこともないのですが、ほぼほぼ皆さん車で来られます。
初詣の際には、多くの方が来るということなので、広い駐車場が整備されています。
それ以外の普段の日に行くのであれば、仁王門横の駐車場のみが利用できます。
仁王門の前にも広い駐車場がありますが、普段は閉まっています。
僕が訪れたのは、12月の中旬なので、参拝される方も多くはない時期でした。
與田寺の仁王門
以前訪れた際にはなかったのですが、與田寺の公式サイトが出来ていまして、詳しくいろいろ掲載されていてわかりやすかったです。
まずは山門、仁王門から見て行きますね。
仁王門の横に椋木(ムクノキ)があり、こちらの樹齢が600年だそうです。
香川県の天然記念物に指定されているのだそうです。
公式サイトには「600年」とありますが、「700年」としているところもあるので、まあ、長い年月を経た巨樹ということは間違いなさそうです。
「厄除の寺與田寺」という碑もありました。
こちらもいつか巡りたいと思いながら滝宮天満宮だけ巡れていない「さぬき七福神」。
国分寺も入っているのですね。
與田寺は「寿老人」です。
こちらの説明版にいろいろ所蔵している文化財が記載されているのですが、「県指定有形文化財 石造宝篋印塔」というのが、わからなかったのですよね。(これは最後の方で紹介)
立派な仁王門をくぐり、境内へ入って行きます。
杉の木「古木のパワー」
中に入ると、右手に背の高い木があります。
こちらは樹齢370年の杉の木だそうです。
幾度も落雷に打たれた、というところがジーンと来るところ。
すくっと真っすぐで、良いですよね。
左手にはお手洗いがあり、その前に烏枢沙摩明王がおられます。
綺麗にお手洗いを使いましょう、と書いてありました。
振り返ると、仁王門の裏側に大きなわらじが見えました。
仁王様の草鞋なのでしょうか、とても大きいですね。
鐘楼堂
その奥には、水子・子育地蔵と鐘楼堂が見えました。
この左右に、お寺の納経所・寺務所があり、お守りや祈祷の受付をしています。
この奥が大師堂や護摩堂になっています。
修行大師像
鐘楼堂から先に見えるのが本堂ですが、右手には、像がたくさん。
まずは修行大師像がありました。
背景に多宝塔があるので、とても絵になる大師像です。
お隣には不動尊像。
更に並んで十二支御尊像がありました。
ずらりとたくさん並んだ像があるのも、與田寺の見どころですね。
與田寺本堂
階段を上ると、本堂が見えました。
一人、二人と帰る方がいて、この瞬間には、お掃除をされている方と僕だけになりました。
広いお寺では、なかなかないですよね。
手を合わせ、お参りをしました。
ここのところ神社が続いていたので、静かに手を合わすのは久しぶりな気がします。
與田寺の御本尊は薬師如来で、行基作と伝わるのですね。
厄除、病を治し、家内安全、交通安全、ということなので、しっかりお詣りしました。
本堂の横にも像
本堂に来るまでにも、様々な像がありましたが、まだまだありまして、すぐ横に水かけ観音様。
聖救世観音菩薩様で、救世とは「人々を世の苦しみから救う事」なのだそうです。
隣には「福龍」の像。
邪念を払い水掛け観音に願いをかけて持ち上げます。
與田寺のHPより引用
一、力が授かる 一、知恵が授かる 一、願い事がかなう
福龍のお隣には蛙の像もありました。
その奥には、寿老人様の像。
鶴と亀(賽銭箱の裏)を従え、微笑んでおられます。
各地に七福神はあるけれど、なかなか不思議な神様ですよね。
與田寺の奥へ 厄除石段
與田寺には、厄除石段という階段があり、こちらの石段に厄年の数だけお金を置いていきます。
これは今回はじめて公式サイトを見て知ったのですが、この石段が三十三歳、次が四十二歳、最後が六十一歳と、年齢で石段を分けているのだそうです。
これは知りませんでした。
なるほど、それで三つにわかれているのですね。
「おんころころせんだりまとうぎそわか」と唱えながら、上るのだそうです。
是非一円玉を持って来てください。
奥の院 與田寺の奥には奥殿
石段を上ると、少し広い場所があり、六角堂と奥殿が見えます。
前に来た際は、奥殿にお参りして帰りました。
この「ガラス戸を引く」というのが、また良いのですよね。
もちろんそのまま石段を戻って帰ってもよいのですが、六角堂まで戻ったら、森の方を向いてみてください。
僕は山に吸い込まれるように、そちらに歩いて行きたい気持ちになりました。
與田寺の奥 裏山の四国八十八ヶ所
さて、ここからが今回本当に書きたかったところです。
厄除石段を上ると、そこから裏山へ抜ける道がありまして、まるで別世界のような景色が広がっています。
下の案内板には約30分とありますが、アップダウンのある、山道ですので、十分に気を付けて行ってみてください。
お地蔵様が並んでいて、札所のお寺の名前が刻まれています。
「ミニ四国八十八ヶ所」というのは、結構見かけるけれど、こんなに広いのは余りないかも、という広さです。
県道も橋で超えて行きます。
北西側が国道11号線、大内町の街並みで、
南東側が虎丸城跡の方面です。
あとで気が付いたのですが、この橋の先が「西国三十三ヶ所」になるのですね。
「西国さん」「お四国さん」の表示がありました。
與田寺の奥 西国さん、お四国さんの先に
西国さんの方を突き詰めて歩いて行きますと、最後は藪に囲まれた道となり、行き止まりでした。
再び来た道を戻り、厄除石段の奥側へ進みます。
すると、更に急な起伏の道になりました。
ムムム、これはカメラを構えるどころではない、という感じ。
もちろん緩やかな道や石段を下りて行けば、問題はないのですが、やはり最後までどうなっているのか見たい気持ちもありますよね。
どうぞ急な道は気を付けて下りてください。
與田寺の多宝塔
急峻な道を下りて行くと、多宝塔の横に出ました。
山道を超えて、最後にこの塔を見ると、何だか最初よりも厳かな有難い気持ちになりますね。
與田寺の奥 石造宝篋印塔はどこに?
さて、境内を大体ひとまわりしたのですが、見たかった石造宝篋印塔(いしづくりほうきょういんとう)は見つかりませんでした…。
宝物館の中なのかな、と思い、最後に案内の立て札を撮った時、奥に碑がちらっと見えました。
ちょうど焚火をしていたので、白煙が上がり、神秘的な雰囲気です。
行ってみても大丈夫でしょうかね。
このまま山の中へ入ると、先ほどの四国八十八ヶ所が始まります。
山の方へ行かず、煙の方向、右手へ進みますと…、
わあ、説明の看板がありました。
やはりこの辺りにあるのですね。
さぬき市火山(ひやま)の凝灰岩火山石で作られているのだそうです。
火山の場所を見たら津田の方だったので、一つ山を越える感じですね。
鎌倉時代後期に作られたというので、古い塔なのですね。
となりに石碑があったので、何となく、この奥にあるのかな、と思って見てみると、
ちょっと新しくて(江戸とか)、お墓ですね…。
向かい側は、
「二基」とあるので、古い塔でも、3つあるのは違いますよね。
どこだろうと、しばらく見まわしていると…、
白煙が光に差し、ぼんやりと屋根が見えました。
あそこにあるのでしょうかね。
わあ、何となくそこだけ別の塔を保護している感じがあります。
説明版からも結構離れているし、お墓と塔だらけなので、わかりにくいですが、おそらくこれだと思います。
與田寺の奥 石造宝篋印塔
おお、やはり鎌倉時代となると、石の感じも随分古く、他とは違います。
この宝篋印塔を見ると、鎌倉時代、既に與田寺が大きな寺院だったことがわかります。
手をあわせお参りしました。良いものを見させてもらいました。
與田寺の奥、裏山や宝塔など知らないことがたくさんあって、訪れるたびに発見があります。
どうぞお近くに来られた際には、立ち寄ってみてください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。