さて、今回は雲辺寺オハネフの宿見学会のことを書いておこうと思います。
昨年の春、雲辺寺ロープウエイの駐車場にブルートレインがやってきて、その後改修、改装をされていました。
秋口に綺麗に改修するためのクラウドファンディングを行っていて、そのお礼に見学会が12月、1月に開催されました。
車両の中を見る機会はなかなかないので、見に行ってきました。
雲辺寺ロープウエイ山麓駐車場のブルートレイン、雲辺寺オハネフの宿見学会のことなんかにご興味のある方の参考になれば幸いです。
2023年3月にも訪れました。オハネフの宿と岸井うどん
目次
- 雲辺寺オハネフの宿見学会の場所
- 雲辺寺オハネフの宿見学会へ
- 雲辺寺オハネフの宿見学会 ブルートレインに乗って
- 瀬戸の寝台上の方
- 瀬戸の寝台下の方
- 瀬戸の通路と洗面所
- なはの洗面所と通路
- デュエット寝台上部
- デュエット寝台下部
- 「なは」の車掌室と方向幕
- 雲辺寺オハネフの宿見学会の後で
雲辺寺オハネフの宿見学会の場所
まずは場所から。
「オハネフの宿」と書いたけれど、まだ宿泊施設としてはオープンしていません。
以前はこの春くらいに、とは言っていましたが、もう少し先になるのでしょうかね。
※追記(2023年2月24日) この見学会から約1年後、テントの建物などができたりして、2/19岸井さんがツイッターで宿泊の先行予約について話題にしていました。 2023年のゴールデンウィークから、とのこと。 宿泊施設としてスタートできそうでよかったです。 ※追記終わり
今回は奥さんも一緒に行くというので(帰りに観音寺の雑貨店に行きたいというので)、高速で行きましたが、地図は前に作ったので、それを掲載しておきます。
萩の寺萩原寺を過ぎ、山へ登る道を進むこと約10分。
雲辺寺ロープウエイ山麓駐車場に到着です。
わあ、いつもは誰もいないところしか見たことがなかったので、こんなに人がいるのははじめてです。
行っても大丈夫だろうか、と少しどきどきしながら下へ行ってみます。
雲辺寺オハネフの宿見学会へ
今回の見学会のいきさつをもう少し詳しく説明しておきますね。
昨年の9月だったか、屋根や内装の設備などを綺麗にしたいのでというクラウドファンディングをされていました。
目標額に達しておらず、内容を見たらお礼に見学会が入っていたので、僅かながら協力させていただきました。
その後12月と1月に4回見学会があるので、希望日時をハガキで申し込みしてくださいとのメールが来ました。
そのままメールで返すのではだめなのだろうかと思いつつ、ハガキを出しました。
まあ、人生の中で岸井さん(ブルートレインを運んだうどん屋さん)宛にはがきを出すことは他にないだろうから、それはそれで貴重な経験ですね。
最初奥さんは興味がない感じでしたが、現場を見て入ってみるとのこと。
普段はブルートレインにそのまま近づけるのですが、この日はロープがありました。
名前を告げ、「二人で来たのですが良いですか?」と尋ねると「大丈夫ですよ」とのこと。
番号札を受け取り、順番を待ちます。
なるほど、順番に中を見学しているのですね。
普段はホームから乗っている乗車口が地面から1メートルほど離れています。
脚立を置いて、そこから上がって行くのですね。
皆さんカメラやスマホで熱心に写真や動画を撮られています。
なるほど、集まっている方々は熱心なファンの方々なのですね!
あんまりこういうところで他の皆さんと話したことがないので、何となく入っても大丈夫かな?という気持ちにもなりましたが、しばらく見ていると徐々に落ち着いてきました。
よく考えたらそんなに気負う必要もなくて、穏やかな晴天の日に雲辺寺山麓でブルートレインを見られるのは、楽しいことじゃないだろうかと気持ちを切り替えました。
まずは「なは」。
その隣には「瀬戸」。
ブログなどで何度も拝見しているので、一目で岸井さんとわかりました。
ブルートレインのTシャツを着てました。
雲辺寺オハネフの宿見学会 ブルートレインに乗って
しばらくすると、「どうぞー」と声をかけてもらいました。
何人か入って行った後、奥にある「瀬戸」の西側から、脚立で中に入ります。
お隣で脚立を支えてくれていましたが、やはりこういう風に列車に入るのははじめてなので、戸惑いました。
入るとすぐのところに車掌室?のようなスペースがありました。
わあ、すごい、中に入れるのですね。
いろいろあるので、じっと見ていましたが「この後ろの駅が書いてあるのも珍しいですよ!」と詳しい方が説明をしてくれました。
「駅名対照表」と書いてあるので、行き先や列車の名前を記載してあるのでしょうかね。
「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」「彗星」「日本海」「ゆうづる」「あけぼの」「あかつき」「出雲」「明星」「つるぎ」「いなば」「紀伊」「はくつる」「瀬戸」「安芸」「なは」「かいもん」「日南」などと書いてありました。
何を操作できるのかはわかりませんが、ここで車掌さんが仕事をしてたのだなあという感じは伝わってきました。
真夜中にここに一人で全国を行き来するって、どんな気持ちだったのでしょうかね。
今はその役割を終え、動かない列車ですが、車窓からは雲辺寺が見えます。
この列車も、まさかここに来ることになろうとは、全国を走りまわっている時には想像しなかったでしょうね。
何に使うのかよくわからなかったのですが、「これも貴重ですよ」と言われるので、撮っておきました。
踏み台か何かでしょうかね。
瀬戸の寝台上の方
通路の方へ入って行くと、寝台が並んでいました。
わあ、この感じ、この感じ!
最後に乗ってから30年以上経っているけれど、昨日のことのように思い出します。
こちら「瀬戸」の窓からは観音寺市街、瀬戸内海が見えます。
大人になってからは乗ったことがなかったので、もっとこの上段の位置は高く見えました。
そして、もっと広い印象があって、こんなに狭かったのか、というのが最初の印象です。
わあ、ここです、ここ!
上段の向かって左の寝台、ここで眠りました。
シートの色は違うけれど、つくりはそのままです。
奥に荷物を置いて、それを枕にしようか、足元に置こうか考えて、枕にした気がします。
実家では布団で寝ていたので、何となく二段ベッドに憧れがあったのですよね。
少年の冒険物語に木の上の家が出てくるので、上に登ってそこに眠ることにとても憧れがあって、ここに来た時「やった!」という気になりました。
大人になって見たら、ちょっと狭いかな、と思うけれど、当時は腕を伸ばして広ーいと思いました。
下はシートになっていて、いつだったか3つは僕らで、下の一つに知らない大人がということがあったと思います。
瀬戸の寝台下の方
先ほどの詳しい方(いろいろお手伝いをされている方だった)が、「ここが梯子になりますよ」と教えてくれました。
そうでした、そうでした。
こんな感じの忍者屋敷の仕掛けみたいなのも、楽しかったんですよね。
「テーブルの下も見てみて」というので、見てみると
「センヌキ」と書かれていて、その奥に突起がありました。
センヌキ、当時は需要があったのでしょうね。
灰皿ケースもありました。
寝台使用中は禁煙とありますが、そうでない時はここでも煙草が吸えたのですね。
大きな車窓からは隣に「なは」が見えました。
マグネットでテーブルがでてきました。
下の寝台は背もたれがあって、シートにもなるのですね。
確か寅さんがここで夏木マリと真夜中にビールを飲むシーンがありました。
泉ちゃんのお父さんに会いに大分へ行くお話で、ブルートレインのシーンが出てきます。
「寅さん、おやすみなさい」なんて言いながらカーテンから手を伸ばすあれですね。
ああ、ここで寅さんと缶ビール6本、7本開けて飲んでそのまま眠ってみたいなあ、という気持ちになりました。
瀬戸の通路と洗面所
しかし、いつまでもここにいる訳にもいきません。
通路に戻ると、折り畳みの椅子がありました。
いつだったか、トイレに行く際にこの椅子にしばらく座っている大人を見かけました。
結構夜更けだったので、何で寝台で眠らないのだろう、と思っていましたが、なかなか寝付けなかったのかもしれないですね。
当時は何で寝ないのだろうと思いましたが、今ならその夜景を見ていたいという気持ちも理解できます。
少し先に他の方もいるので、慎重に間合いを見ながら進みます。
奥さんは「もう出よう、もう出よう」とこそこそ言ってきます。
僕は懐かしい気持ちで胸いっぱいですが、後で聞いたらはじめて来たので密室みたいな感じがしたのだそうです。
一番奥に洗面所とお手洗いがありました。
あんまり定かではないけれど、僕が見たのは、もう少し形が違っていたように思います。
真ん中の穴はたんつぼだそうです。
そういうのが必要な時代だったのでしょうね。
向かいにお手洗いがありました。
この入り口の感じなんかは見覚えがあります。
とても綺麗に掃除されていたので、ここまでするのは大変だったろうなあと思います。
実際に設備を改装するのがいかに大変だったのかお話も聞きました。
「瀬戸」からはここで下車します。
再び脚立を使って下に降り、隣に「なは」へ移動です。
なはの洗面所と通路
一度地面に降りて、再度脚立で登ります。
洗面所ばかり撮っても仕方がないのですが、少しこちらの方が時代が新しい感じがしました。
後ろから次の方が来たのか、奥さんが「早く、先に行って、早く!」と急かすので、先に進みます。
わあ、こちらはデュエット寝台というのか、僕の知らないつくりになっています。
階段上の入口と、平坦な入口が交互に続いているのですね。
そして各お部屋に番号キーのようなものがついています。
まずは階段のようになっている寝台を見てみます。
デュエット寝台上部
わあ、すごい、これはなかなか豪華な感じですね!
僕の知るブルートレインではなくて、その後こんなのに乗ってみたいね、と言っていたブルートレイン。
こちらの「なは」では、列車の走行する音「ガタンゴトン、ガタンゴトン…」というBGMが流れていました。
何となく本当にこのまま何処かへ行けるような、そんな気持ちになりますね。
結局乗らずにそのまま時が過ぎてしまいましたが、30年以上の時を経て、こうして見ることができました。
シートの感じとか木目のデザインとか、なかなか良い雰囲気ですね。
枕があるので、やはり窓側が頭でよかったのだろうか、と思います。
足元には荷物を置くスペースもありました。
デュエット寝台下部
上の寝台もあれば下の寝台もあります。
なるほど、二人で乗ることを想定して作られている車両なのですね。
窓が広いのと、天井の中央があるので、幾分広々とした感じはあります。
それぞれのつくりを見てなるほどと理解できたのですが、こういう感じになっているのですね。
列車の音を聞きながら、窓を眺めると雲辺寺が見えます。
先ほどの瀬戸内海から、こちらは四国の山々。
これはなかなかいいロケーションですね。
「なは」の車掌室と方向幕
僕はしばらくここでこの景色を見ていても良いのですが、そろそろ行こうと奥さんが言います。
確かに僕ら以外の方は外に出てしまったようです。
最後に先頭の車掌室を見て行きます。
シートの模様は瀬戸のものと同じでした。
ここにも同じく駅名対照表がありました。
じっくり眺めていたいところですが、何やら皆さん集まっておられるようなので、脚立で降りていきます。
ああ、楽しかった!
どこか別の世界へ旅して、今帰ってきました、というような気持ちです。
「なは」から下車し、さて帰ろうかと思い岸井さんに挨拶すると、
「幕まわすんで、よかったら…」
幕?何だろう、幕って?と思っていたら、うしろの駅名のところに皆さん集まり始めました。
「まわしまーす」という声とともに、回送から駅名が次々変わっていきます。
なるほどこれを幕と言っていたのですね。
まあ、正直に言いますと、僕はこの駅名がクルクル回るのには全く興味はなかったのですが、他の方が熱心に写真や動画を撮られていたのです、足音も立てられず…。
結局最後まで見ていました。
僕よりも奥さんはポカンとした顔で…、なかなか人生の中でも立ちあうことのない、面白い場面でした。
さて、終わった、と思ってら「逆いきまーす!」の声。
あらら、まだあるのか、と思いつつ、じっと回転する幕を見続けました。
僕にはその醍醐味は理解できませんでしたが、熱心なファンの方にはそれに楽しみがあるのでしょうね。
雲辺寺オハネフの宿見学会の後で
幕が終わり、帰る前に記念の写真をくれました。
岸井さんに来られてよかった、見られてよかったと伝えました。
グッズとうどんも販売されていたので購入しました。
うどんや記念グッズ、通販でも販売されているのですね。
四国遍路の駅・岸井うどん
美味しかった岸井うどんを食べたことは、また別途書くことにしますね。
今回訪れる前に、実家から何枚かブルートレインの写真を送ってもらいました。
その中にブルートレインに乗る前、連結の作業をされていて、父親に「撮って!撮って!」とせがんだ記憶があります。
当時はフィルムだから「なんで?こんなところ?」と渋々という感じでしたが撮ってくれました。
このブログに掲載されることで、やっとその役割を果たせた?気もします。
僕らが乗ったのは「あさかぜ」だったのですね。
当時も今も、何となくブルートレインへのあこがれは消えずにありました。
たまたま巡り合わせで、僕も住む香川県に、雲辺寺の山麓にブルートレインが来て、とても嬉しく思います。
そして、その中を見学できたことは、これまた楽しいひと時でした。
雲辺寺オハネフの宿見学会 、ありがとうございました!
この後もう少し修繕して、オハネフの宿としてオープンする予定だそうです。
もしお近くに来られる機会がありましたら、是非立ち寄ってみてください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。