巨鼇山雲辺寺に行ったことを今回は書いていこうと思います。
前回は雲辺寺ロープウェイに乗って雲辺寺山頂公園に着いたところまで書きました。
9月の連休で山頂公園には多くの方が来ていまして、そこから毘沙門天展望館を巡り、 巨鼇山雲辺寺 の境内、五百羅漢を見てまわった様子です。
雲辺寺山頂公園の天空のブランコの様子や、毘沙門天展望館からの景色、雲辺寺の五百羅漢などに、もしご興味がおありでしたら、お読みください。
雲辺寺山頂公園天空のブランコ
いろんな理由があるとは思うのですが、ここのところ観音寺市はちょっとした「天空ブーム」で賑わっておりまして、高屋神社の「天空の鳥居」に続いて、こちらでは「天空のブランコ」と「天空のフォトフレーム」だそうです。
ムムム、誰もいなければ、そっと近づいて見てみようかなとは思うけれど、行列になっているので、ちょっと近寄り難い感じがします。
もし子どもが一緒に来ていれば、ブランコに乗せて(もちろん嫌がる可能性が高いが)なんてこともありますが、もうそこそこ中年の男女には、ブランコという選択肢はありません…。
いや、他の方がする分には、全く構わないのですが、たくさんの人がいる中で、自分が乗っているところを写真に撮るなんていうのは、到底無理な感じです。
観音寺の市内と中央右のぽこっとした山が銭形砂絵の辺り。
その先が荘内半島、その右が稲積山、七宝山、粟島と続きます。
奥さんはこういう風景や景色みたいなのに、驚くほど興味がないようで(本当に一つも見ずベンチにずっと座っていた)、僕は少し下に下りたりしました。(写真を撮っている前に行くとどいてくださいと言われるから注意です。やってしまった…)
恒例のご夫婦がおられて、僕と同じように、「あそこが金毘羅さん、瀬戸大橋が…」なんて奥様に説明されておられましたが、奥様は全くご興味がないご様子。「ふぅ」なんてため息までついておれました。
僕も時折良かれと思って、ここからどこそこが見える、なんて説明するけれど、そこにはあんまり興味がない女性の方がおられるようで、そのことを奥さんに話すと、
「そうそう、そんなのどうでもよくて、正直その説明は要らない」
とのことでした。
それを聞いて、なるほど、その時に見たことを口に出さず、こうやってブログの中で書こうと思いました。
見たくない方はどうぞ飛ばしていただいて、僕はその景色を説明する高齢男性の説明に「なるほど、そうだったか!」と膝を打ちましたので、きっと同じように興味のある方もいるだろうと信じて書くことにします。
ブランコに興味のある方もいれば、景色やその場所に興味がある方もいるし、両方興味がない方も、もちろんおられても全く構わない。
冬場には活躍するリフトがありました。
その向こう側がスキー場になっているのでしょうかね。
※この後2020年10月に、スノーパーク雲辺寺は冬場のスキー、スノーボードの営業をやめるというニュースがありました。残念ですね。
晴れて天気がよければ、福山やしまなみ海道の方面が見えるのだと思います。
椅子も置かれていて、ドローンを飛ばす方や虫網を持った子どもがいました。
確かにバッタやトンボがたくさんいたから、虫取りも楽しいでしょうね。
冬は雪で覆われてしまうだろうから、夏にリフトを見るのはなかなか新鮮なものです。
手前がゲレンデで、奥が一山超えて愛媛県四国中央市。
見晴らしがよければ石鎚の方までみわたせるだろうなあと思います。
なるほど、燧灘の東側が、地図で見た地形と同じだと確認ができます。
(もちろん確認したからと言って何があるというわけではない。自分の中で納得するだだけです。)
僕は天空とは思わないけれど、確かに街並みを見下ろすことができる非日常的なところはありますよね。
車から下りて、ロープウェイに乗って、数十分で到着するのだから。
雲辺寺毘沙門天展望館
さて、山頂公園から、気になっていた毘沙門天像の方へ向かってみます。
緩く登って行くと、毘沙門天像の足元に人の姿が見えました。
「あそこまで登って行く?」
「行かん」
とのことで、僕だけ行くことにしました。
登って行くのと、景色については、ほぼ興味がないのですね。
先に雲辺寺に行くとのことで、ここで別行動にしました。
毘沙門天展望館というのですね。
脇には千手観音がありました。
以前によく拝見していた雲辺寺のブログには、こちらの管理はロープウェイを運営する四国ケーブルさんだとありました。香川県側と徳島県側で分けているのでしょうかね。
毘沙門天展望館は入場無料と書いてあります。
入ってみると、なかなか珍しい螺旋のスロープになっていました。
天井を見上げると、最後のところが少し階段になっているけれど、そこまでは緩いスロープになっているようです。
そして、そのスロープの通路に切り絵がかけられていました。
これがなかなか良いもので、四国八十八か所霊場の各霊場を切り絵で描いたものでした。
一番は徳島県の霊山寺。
毎週土曜にBSで寅さんをしていますが、先週終わりの方で徳島や霊山寺がちらっと出てきました。
全部で89枚あるのですが、全てという訳には行かないので、各県から1枚ずつ。
高知は竹林寺か金剛福寺か迷ったのですが、足摺の方が南国っぽいですよね。
椿が咲いていました。
愛媛は石手寺。行ったことがないのですが、道後温泉の近くですよね。
香川は実際には徳島県にありますが、香川の札所となっているここ雲辺寺。
最後は和歌山県、高野山金剛峯寺。
綺麗な切り絵というのもあるけれど、ああこれは知っているという場所があると、何だか見てしまいます。ああ、そうだった、ここはこうだった、という感じ。
ドアがあって、外に出ると眺望が広がっています。
近くで見ると、また迫力がありますね。
雲辺寺から見守っている感じ。まずは毘沙門天様に手を合わせます。
先ほどまでいたゲレンデの方j面が見えました。
その奥は石鎚が薄っすら。
この展望台は六角形の形をしていて、それぞれの辺から瀬戸内海、四国四県の異なる方向を見渡すことができます。
もちろんご興味のない方も大勢おられると思いますが、一周していきます。
柵には福山という表示があります。
この日は曇りの中の曇りという日だったので(9月はずっとそうだった)伊吹島と燧灘しか見えませんでした。
柵には「瀬戸大橋」とありますが、この日は見えませんでした。
善通寺や琴平の山影が見えました。
眺めながら、つぶやく相手もいないので、これは帰ってブログで書こうと思うところ。
こちらは徳島市の方面ですが、むしろ雲辺寺の境内の屋根が少し見えているのが面白いところです。
こんな風に木々に覆われているのだなあと感心します。
この先には徳島市があるに違いない、と思い込んで眺める山々です。
こちらもその奥に剣山があるということですが、白いもやの中…。
最後はほぼ木が見えるだけなのですが、高知の方面になるのだそうです。
帰ってみて展望館の向きを作るとこんな感じでしょうかね。
よくよく考えると、四国四県をぐるっと見渡す場所は限られているから、なかなか珍しい体験です。
もし毘沙門天展望館へ上るか迷っているなら、是非一度は上がることをお勧めいたします。
その下には、県境の標識がありました。
標高は1000mで、旧の町名三豊郡大野原町が残っています。
こちら側は徳島で、やはり旧の三好郡池田町となっています。
せっかくだから、そのまま残しておいてくれるといいなあと思います。
こんな感じに、最初は何だったのだろうとなるくらいまで。
階段を下り、緩い坂を下っていきます。
この下を右へ行くと、雲辺寺の境内です。
巨鼇山雲辺寺
雲辺寺の境内については、たくさんの方が書かれているだろうから、僕が詳しく書かなくってもという気もしますが、待ち合わせしているので行ってみます。
展望館から坂を下り、さらに右に下って行く道があります。
四国霊場第六十九番 巨鼇山 雲辺寺とあります。
雲辺寺の歴史・由来
巨鼇山 千手院 雲辺寺 (一社)四国八十八ヶ所霊場会より抜粋して引用
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は、麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めでいわば「関所寺」。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の建材を求めてであったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
なるほど、香川県の霊場はここから始まるし、険しい山の中にあるので、難所の一つだったのですね。
僕らはロープウェイで気軽に来てしまったけれど、昔の方は来るのが大変な場所だったのでしょうね。
紅葉のシーズンに、よく見かけるのが山門前にある「雲辺寺なごりもみじ」。
いくつかのブログやSNSで拝見したことはありましたが、実際に見るのは初めてです。
きっと紅葉シーズンには綺麗なのでしょうね。
ロープウェイの方から、絶え間なく人がやって来ます。
仁王像がありまして、今にも声が聴こえてきそうという表情でした。
仁王門の扁額には「巨鼇山」と揮毫されていました。
門をくぐると綺麗な石段があります。
その脇には小さな標石がありました。
ロープウェイ山麓駅で見かけたのと同じく中務茂兵衛さんの「旅うれし 只ひとすじに 法の道」でした。明治二十九年とあるので、昔のものなのでしょうね。
石段を上がると少し広い場所になっていて、手前が厄除不動、奥が大師堂となっていました。
その脇には、雲辺寺の観音さまという昔話の看板がありました。
香川のむかしばなしからとったこうした看板は満濃池でも見かけました。
昭和62年のものですから、30年以上前ですね。
「眼の悪い方がお参りすると、よくなおるといわれています」とあります。
これは見ておいてよかったです。
(奥さんが眼病平癒のお守りを買っていました)
看板のイラストもなかなかよくて、行った先々で見られると嬉しい気持ちになります。
そして驚いたことに(本当に見間違いかと思った)、アジサイが一株咲いていました。
9月も中旬を過ぎ、下旬に見るアジサイ。何だか不思議な感じでした。
厄除不動の横には、鐘楼がありましたが、「ついてはいけません」と張り紙がありました。
毘沙門天像展望館にあった切り絵はこの鐘楼を描いているのでしょうね。
大師堂には、これまた次々とお遍路さんや参拝者が訪れていました。
僕もやはりそれぞれにて短い時間手をあわせていきますが、他の方のようにじっと長い間いるのは苦手なところ…。
そこから左手に下る道があり、その下には水子地蔵がありました。
反対側には納経所、その向かいには水堂がありました。
この裏手側に道路があって、その下に車を停めて来る方がいるのでしょうね。
ここから本堂はすぐ目の前です。
さてでは本堂を、なんて思っていたら電話がなりまして、「どこにおるん?」と奥さんが尋ねてきました。
もうすっかり見終わってしまって、帰りたいから早くして、という感じ…。
本堂は外から眺めつつ、
おたのみなすを見て引き返します。
おたのみなす、もっと近くでも写真を撮ったのですが、皆さんの願い事やお名前が入ってしまうので、写真は遠くからのみ。
僕は特にこれと言ってお願いすることはないのですが、皆さんいろんな願いがあるのですね。
仁王門の前にいるというので、急いで戻って見ると奥さんが仁王様のような表情で…。
いやあ、ついつい夢中になってしまいまして、時間が経つのをを忘れていました。(でも40分ほどだけれど)
もうロープウェイに戻る、というのですが、一人では道がわからないらしい感じです。
こっちかも、なんて言いながら、僕は最後の五百羅漢を見に行きます。
雲辺寺の五百羅漢
もちろん雲辺寺の境内も素晴らしいのですが、僕はこちらの五百羅漢をじっくり一度見てみたいと思っていました。
その手前にまずは大師乳銀杏があります。
写真の撮り方が下手で大変申し訳ないのですが、「子育て地蔵」の後ろにあるのが銀杏の木だったようです。
きっとこの銀杏も紅葉シーズンには、綺麗に色が変わるのでしょうね。
お気づきの方も多いかと思いますが、もうこの辺りからずっと羅漢様が続いています。
「今しばらく、今しばらくお待ちくだされ!」
「いや、ならぬ!前に進むのじゃ」
言葉をかければ、その口から何か帰ってきそうな気配です。
いや、心の中に何か直接語りかけてくれる感じもあります。
羅漢様たちの表情を楽しみながら、上へ緩やかに上って行きます。
「この道であっとんな?」
「あってますよ、大丈夫」
「もう帰るんな?そんなに慌てんと、ここで休んでいきまい」
もう少し日が暮れて、暗くなってくると、石像の一つがよっこらしょと腕を動かし始めます。それに続いて、右隣、左隣と動き出し、やがて賑やかな宴会場に。
誰もいなくなった雲辺寺では、朝までそんな光景が続きますが、朝になるとまた元通り、なんてことがあったら面白いですね。
わしは日が暮れるまで我慢が出来んのだよ、と動き出しそうな像を横目に見ながら歩いて行きます。
顕彰碑には、徳島の企業の創業者のお名前がありました。
こちらの多数の五百羅漢は、奉納されたものだそうです。
「ロープウェイ乗り場こっちやろ?」とこの辺りで気づかれてしまいましたので、ロープウェイの駅に向かいます。
「そうや、こっちやで」と指さして教えてくれています。
前から先ほど到着した方が、賑やかに下りて来ていました。
そんなに長い時間いたような気もしないけれど、下に戻ることにします。
ロープウェイが出てしまったばかりで、一組だけ待っていました。
ゴンドラが来たので、再び乗り駐車場へ戻ります。
上りよりも下りの方が下がっていく時のすっとする感覚がありました。
1987年の竣工なので、出来てから30年ほどなのですね。
雲辺寺山頂への楽しい旅路でした。
また機会があったら来てみたいなと思います。
近くにお立ち寄りの際には、是非訪れてみてください。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。