法然寺讃岐十景碑を探して と言っても、仏生山公園や法然寺は地元のかがわさんたちにとってはあって当たり前のものだし、他県にお住いの方は、それほどご存知ないのかもしれません。
しかし、僕は昨年から何度か(実に3度ほど)訪れていて、そのたびにあるものを探していました。
ここのところ、讃岐十景を巡る記事を書いていますが、法然寺もその一つに入っているので、その石碑が法然寺にあれば見てみたいなあ、と思っていました。
しかしですね、他の讃岐十景碑はウェブ上で検索すれば出てくるものの、法然寺の讃岐十景碑だけは、どこをどう探しても出て来ません。
SNSやブログでどなたか触れられていないだろうか、と探し続けましたが、見当たりません。
そうなると、もう現地で探して見る以外にはないではないですか。
そういう感じで、仏生山公園と 法然寺讃岐十景碑を探して みたお話です。
ちょっとした謎解きみたいな感じで今回は書いてみますね。
仏生山公園の駐車場
法然寺のこと書くのに、なぜ仏生山公園なのか、と思われる方もいるかもしれません。
仏生山公園のすぐ北側が法然寺、法然寺のすぐ南側が仏生山公園となっています。
最近近くに来たのは、仏生山の森ですが、そこからは車で5分ほどの場所です。
僕は中央通りからスーパーの横を通り、平池の淵を行きました。
もちろん仏生山の街を抜けても行けるけれども、この道はやや狭いので、この方が行きやすいと思います。
また別のところでも触れるけれど、この平池の横の道はいわざらこざらの伝説があります。
地元のかがわさんから聞いた話だと、昔仏生山には芝居小屋が立つことが多くて、この道を抜けて仏生山へ芝居を見に行ったのだそうです。
その際にこの平池の道が暗くて、幼い頃にはおっかないけれど芝居も楽しみだから、夜道を目を閉じて走り抜けたそうです。
確かに、反対側は小高い山で、お墓だから、今も夜は怖いかもしれません。
ちょうどこんな感じで、一つ道を挟んで南東側が仏生山公園、北西側が法然寺となっています。
ほとんど同じ場所にありますが、それぞれ管理されている方が違います。
今回の目的は、 法然寺讃岐十景碑を探して いるので、芝生広場側の駐車場に車を停めたところから、隣接する仏生山公園を見てみます。
仏生山公園
なるほど、車ではよくわからなかったけれど、歩いてきたら確かにお墓がずっと続くのですね。
芝生広場が広がっています。
桜もあるから、お花見の時期には多くの方が訪れるのだろうと思います。(行った時期は桜はまだでした。)
大体石碑があれば、写真を撮り、帰宅後に何の石碑なのかを調べていくのですが、残念ながら仏生山公園の芝生広場にあったこの石碑はどういうものであるのかわかりませんでした。
隣には民生委員制度創誕100周年の記念植樹オリーブが植わっていました。
もちろんこの辺りにはないだろうなあ、という気もするのですが、一応見て歩いて行きます。
すると、親水広場という場所がありました。
なかなか石造りの立派な広場で、香川県の大好きな野外円形劇場タイプとなっています。
こういう公園の様式が流行っていた時期があるのでしょうね。
その横には、高松クレーターの説明版がありました。
なるほど、これが高松クレーターの説明版ですね。
高松クレーターはカルデラ跡なのだそうですが、一時期水があるのかないのかと話題になったようで、そのことを伝える説明版です。
説明版を作ったのが高松市と高松観光協会というのがいいですね。
この親水広場だけ少し低い場所にあって、水辺があるので、なかなか気持ちのよい広場です。
しかし、石碑らしきものは見当たりませんでした。
その奥には、何かの倉庫のような建物がありました。
壁面にはカヌーの絵。
変わったイラストですが、なかなかユニークで良い感じ。
高松のよいところの一つは、こうした裏の路地とかでも、絵が描かれているところです。
広場を抜けて前池の方向へ歩くと、横に体育館がありました。
その奥には仏生山の市営プール。
念のため、この辺りも探して見ましたが、讃岐十景碑は見当たりませんでした。
プールの横にも駐車場がありました。
トリム広場と、幼児の遊具があるエリアでは、何組かの方が遊んでいます。
まだ梅が満開を迎える頃だったからか、奥の池の畔ではお花見をされているグループもおられました。
少し体育館の方へ戻るように歩くと、平和の礎がありました。
石碑はあるのですが、讃岐十景碑はありませんでした。
桜の時期には、この水辺がまた華やかになるのだろうなあと思います。
ワンちゃんを連れた方も多くいましたので、人気のお散歩コースになっているのでしょうね。
一応仏生山公園内をひとまわりしたので、管理事務所でも尋ねてみます。
「すみません、讃岐十景という石碑を探していますが、公園内にはないでしょうか?」
「公園内では見たことないですね」
そうですよね、ないですよね、大変失礼いたしました。
法然寺の駐車場
仏生山公園は市の施設で、隣接する法然寺は宗教団体だからなのか、道路を隔て明確に敷地も区切られています。
でも、よくよく歩いて見ていると、植栽の一部に切れ間があって、トンネルのようになっています。
数十メートルの短い距離ですが、向こうが見えまして、猫ちゃんが行ったり来たりしています。
きっとこの小径に名前はないだろうけれど、なかなか素敵な垣根の小径です。
車や自転車でも通れない、人や猫が歩いて行けるだけの幅しかない道です。
もしこの小径がなければ、先ほどの駐車場の方か、池の向こう側までまわり道をしなければいけないから、大変貴重な歩道です。(池にかかる橋なのかな?)
法然寺駐車場の前に出るのですが、行ったり来たりしていたのは、君たちだったのか。
利便性を重んじながらも、おおらかな感じを象徴する小径です。
真上には、大きなメタセコイヤの木。
そして正面には、法然寺です。
高松藩祖松平賴重は水戸徳川頼房の長子で、二代光圀の兄に当たり、徳川一門が崇敬する浄土宗に帰依、建永の法難で讃岐に流された法然上人が住したという生福寺(まんのう町)を城下約8.5km南の地に復興し、菩提寺とした。
第2番 法然寺 – 霊場のご紹介|法然上人二十五霊場のHPより引用
寛文8年起工、同10年正月25日に三十三門二十四宇の堂塔が完成、江戸小石川伝通院前住職真誉相閑を中興とし、仏生山来迎院法然寺と号した。須弥山を模した山上に位置する般若台には、法然上人を中心に、賴重の父頼房をはじめ、賴重以来の高松松平家一族の墓石202基が存在する。
松平頼重公がまんのうからこの地に移し、松平家の菩提寺としたのですね。
法然寺の駐車場は、ちょうど昼時になると、この駐車場はいつも大変混みあっています。
お昼にお寺に来る方がそんなに多いのか、と思われる方もいるかもしれませんが、法然寺の敷地内にうどん屋さんがあるのです。
香川でお昼時に人が大勢集まる場所は、大抵美味しいうどん屋さんです。
竜雲うどんのお店がありまして、ここを訪れる方でお昼前後はいつも多くの方がいます。
仁王門の前が法然寺参拝者駐車場となっています。
別に駐車場のラインがあるわけではないのですが、奥に停めてあるような感じで皆さん停めておられます。
僕も何度か食べたことがありますが、こちらのうどん屋さんは、うどんのごまだれつけ麺が一番のお勧めになっています。
他ではあまり食べたことはないけれど、竜雲さんのごまだれつけ麺とても美味しいですよね。
頼重公が製麺、うどん作りを奨励していたのですね。
法然寺を開創した賴重公は、同時に門前町を開発し、そこに高松藩中の製麺業者を集めた。平池の水で水車を回し、小麦粉を挽いて無利子で貸し付け、製麺を奨励した。
讃岐うどん発祥 仏生山来迎院法然寺(高松市)のHPより引用
そのお隣には、フロレリアというお花屋さん。
いつも綺麗なお花がいっぱいです。
お店の中にもいくつか商品があったので、ドライフラワーを一つ買いました。
お店の方に「讃岐十景という石碑を探しているのですが…」と話してみましたが、やはりご存知ないようです。
本当はこの仁王門の辺りにあっても良い雰囲気なのですが…。
仁王門、涅槃門、本堂門
もう何となく見ているだけで拝みたくなるような立派な門が仁王門です。
後ろには五重塔。
説明版もありました。
僕はこのステンレスの説明版を見ると、どうしても高松市教育委員会が建てたもののように思ってしまうのですが、文は法然寺で、贈ったのは公益財団法人松平公益会だそうです。
大きさや場所から、この辺りにこのくらいの大きさで讃岐十景碑があっても全くおかしくないのですが、こちらは国指定史跡高松藩主松平家墓所の石碑です。
国が史跡に指定しているのですね。
ちょっと石碑が新しいと思ったら、指定年月が平成31年2月となっていました。
史跡指定されてから、まだ間がないのですね。
ええと、実は何度も繰り返して恐縮ですが、僕は既に境内をひとまわりして探しておりまして、目立つところには見たらないことはわかっていました。
隣には法然寺の説明版に、
アプリで見られるとニュースになっていた仏生山観光案内野立て看板はありますが、
讃岐十景碑は見当たりません…。
お隣涅槃門から入ったところにも、
本堂に入ったところにも、
石碑がありそうな、ぽんと置かれていそうな気配はあるのですが、ありませんでした。
このまま石碑を調べるのをやめて、本堂のことなんかを見てまわっても良いのですが、せっかくここまで来たのだから、是非見てみたいと思い、受付の方でお寺の方に尋ねてみることにしました。
「お忙しいところすみません、法然寺に讃岐十景の石碑がないかと探しに来たのですが…」
「総門の横の方にあると思いますよ。台風で倒れてしまっているかもしれません。総門、わかりますか?」
いやあ、ご丁寧にありがとうございます。
なるほど、総門の横に倒れているかもしれないのですね。
お礼を言って早速行ってみます。
法然寺讃岐十景碑を探して 総門へ
先ほどの仁王門前の駐車場の反対側には、少し茶色の瓦のある門があります。
なるほど、全体が黒く塗られていたのですね。大門とも呼ばれるそうです。
瓦は何と理兵衛焼だったそうです。
理兵衛焼、どこかで聞いたことがあると思っていたら、理平焼なのですね。
現在の瓦は京都で焼いたものということですが、また新しくする時には香川で焼いた瓦になるといいですね。
ちょうど参道を逆に行ってますが、この先は二河白道というのだそうです。
二河白道を行くと、その奥に十王堂がありました。
僕が写真に撮っているのは建物で、その中には大きな仏様がおられます。
後ろには隣接する仏生山の学校が見えます。
こちらの十王堂の軒丸瓦には葵の紋が見えました。
そして、総門までやってきましたので、石碑はないかと探してみます。
いやあ、もしあるとしたらこの辺でも全くふしぎではない、と言う雰囲気なのですが、讃岐十景碑は見足りません。
お遍路さんの道標はあるのですが…。
しかし、もしかしたら横になっているかも、と言っていたので、じっくり辺りを視ていますと…、
ムムム!なにやら石碑が…
よくよく見てみると、さぬき百景の石碑でした。仏生山公園と書いてありますが…。
他にないかとしばらく探してみましたが、ありません。
お寺の方がおっしゃっていたのは、この石碑のことだったのかもしれません。
もう一度戻って洞雲山の讃岐十景碑を見てもらうと、
「いやあ、こういうのは境内で見たことがない」
とのことでした。
ああ、やっぱり、お寺の方もご存じなかったか、と探し回っても見当たらなかったことへの安心感と、寂しさがありました。
本当は見つけた上で、ここに讃岐十景碑がありますよ、ということをお伝えしたかったのですが、仏生山公園と法然寺の境内では、この日讃岐十景碑は見つけられませんでした。
見つかりませんでした、とこの記事もお終いにしてもよかったのですが、もう少し探してみようと歩いてまわったお話は、また次に書いてみます。
果たして法然寺に讃岐十景碑はあるのか、後編に続きます。(何だかもったいぶってしまって申し訳ないです)
僕は讃岐十景碑を探して歩いたけれど、仏生山公園も法然寺も素敵な雰囲気なので、是非、近くに来た際には立ち寄ってみてください。
(もし法然寺で讃岐十景碑を見かけたら、是非教えてください)
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。