大神神社、狭井神社、檜原神社へ行ったことを書いておこうと思います。
平城宮跡を見学した後、桜井市へ移動し、昼食に三輪素麺をいただき、その後に大神神社から山の辺の道を歩いて狭井神社、檜原神社へと巡った際の様子です。
大神神社境内までの行き方や、狭井神社の御神水、元伊勢と呼ばれる檜原神社の様子にご興味がおありの方の参考になれば幸いです。
目次
- 千寿亭 池利三輪素麺茶屋
- 大神神社の大鳥居
- 大神神社駐車場から参道を歩く
- 大神神社二の鳥居
- 大神神社の拝殿
- 大神神社 巳の神杉(みのかみすぎ)
- 大神神社から狭井神社、檜原神社へ
- 大神神社久すり道
- 大神神社 磐座神社
- 狭井神社の境内
- 狭井神社の薬井戸 (くすりいど)
- 大美和の杜
- 狭井神社から檜原神社へ 山の辺の道を行く
- 玄賓庵
- 檜原神社へ
- 檜原神社
- 檜原神社 桧原御休処
千寿亭 池利三輪素麺茶屋
奈良市の平城宮跡歴史公園から、車で桜井市へ向かいます。
奥さんが事前にるるぶで調べていた素麺屋があり、そこへ行ってみたいというので向かいます。
車で走ること約40分、11時30分頃千寿亭に到着です。
大神神社の大鳥居から、車で行くと1分かからないほどです。
店舗の前に駐車場があり、一台出たところでちょうど停められましたが、次々に車が入って来てあっという間に満車になりました。
人気店なのですね。
店内に入ると、2組ほど待たれていて、名前を書いて順番を待ちます。
席が空き、店内へ。
わあ、三輪は、素麺発祥の地なのですね!
ここから兵庫や小豆島、徳島や島原へと伝わっていったのだそうです。
素麺、高松ではこうしたお店で食べられることは少ないので、楽しみです。
店内は満席でした。
奥さんは温かいお素麺、にゅうめん。
僕は天ぷらのついたお素麺(温)と柿の葉寿司にしました。
柿の葉寿司、昨日食べていなかったので、食べてみたかったのですよね。
温かいお素麺、しっかりとコシがあって、小麦の香りがして美味しかったです。
生の素麺を食べている感じがとてもよかったです。
大神神社の大鳥居
お素麺をいただいた後、車で大神神社へ向かいます。
大神神社は奥さんが行きたいということで、参拝しました。
車で行きましたが、とても大きな鳥居がありました。
和歌山の熊野本宮大社の大斎原(おおゆのはら)に次いで、二番目に高い鳥居なのだそうです。三番目が新潟の弥彦神社だそうです。
仰ぎ見るようにして写真を撮りました。
この鳥居の下に駐車場があり、そこに車を停めました。
参拝者用の駐車場があり、無料でした。
僕は大鳥居から参道を歩く様子を撮りたいので、この駐車場を利用しましたが、もっと境内に近い駐車場もありました。
奥さんは「なんで、こんな遠いところに停めるのか」と言っていましたが、僕にはある作戦がありました。(それは後述します)
大神神社駐車場から参道を歩く
さて、大神神社の境内に向かって、参道を歩いていきます。
僕らははじめて訪れたので、神社の名前さえもわからない状態です。
大神神社(おおみわじんじゃ)について
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
なるほど、三輪山を(みわやま)ご神体とする神社なのですね。
それで読み方が「おおみわ」なのですね。
日本最古の神社なのだそうです。
参道を歩いていると、正面に山が見えましたが、あちらが三輪山でした。
あちらが和歌などによく出てくる「三輪山」ですね。
境内に近づくにつれ、駐車場に停まっている車の数が増えてきました。
「踏切より先駐車場はありません」という説明書きがあったので、この辺りが一番近い駐車場になるのでしょうね。
参道沿いには、お店が並んでいて、露店も見かけました。
万葉まほろば線、三輪駅横の踏切です。
今回は僕らは車で来たけれど、JRで来ると、この駅が最寄りになるのですね。
「万葉まほろば線」、思わず声に出して言って見たくなる路線です。
大神神社二の鳥居
大鳥居から歩いて約800m、大神神社の二の鳥居に来ました。
ここから木々が生い茂っていて、先が見えないほど。
鳥居の奥に入っていきます。
わあ、ここはなかなか清々しい参道で、良い雰囲気です。
昨秋の伊勢神宮を想い出しました。
参道をしばらく歩くと、祓戸社がありましたので、先にお参りします。
石段を一つ上がると、「夫婦岩」がありました。
三輪の神と人間の女性の恋物語を伝える二つの岩が夫婦のように寄り添う。縁結び・夫婦円満のご利益がある。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
大神神社の境内は、そのものが国の史跡にもなっていました。
境内案合図を見ると、大神神社はとても広大なことがわかりました。
大神神社の拝殿
参道から最後の石段を上がっていきます。
わあ、とても大きな拝殿です。
国重要文化財。寛文4年(1664)徳川家綱公により再建。当神社は三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
家綱公により再建された拝殿も、重要文化財なのですね。
拝殿の前には、大神神社についての説明板もありました。
神職の方が建物の中を歩いていまして、何だか優雅な感じでした。
万葉集の歌も掲げられていました。
三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや 額田王
僕は歌のことは知りませんでしたが、三輪山の麓、大神神社で見かけたら、確かにぴったりだなあと思います。
大神神社 巳の神杉(みのかみすぎ)
拝殿の傍には、大きな杉の木がありました。
こちらは巳の神杉(みのかみすぎ)というご神木だそうです。
三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
御祭神の「大物主」の化身は白蛇に化けて神話に登場するのですね。
大物主、かがわの金刀比羅宮の御祭神でもあります。
大きな杉の木は、樹齢500年以上だそうで、こちらに白蛇が住んでいたのですね。
巳の神杉の脇には別の参道があり、こちらはバリアフリーのようでした。
向かい側には、お守り授け所や御朱印所があります。
奥さんはお守りや鈴みたいなのを買っていました。
ここから脇道へ入って行くと、「久延彦神社 (くえひこじんじゃ)」「狭井神社(さいじんじゃ)」と書かれた案内がありました。
この奥には、祈祷殿と儀式殿がありました。
大神神社から狭井神社、檜原神社へ
僕はこのまま来た道を戻るのかと思っていたら、奥さんは、「この先に神社があるので、そこにも行ってみたい」とのこと。
僕もいいよ、とはいったものの、距離感が掴めません。
結局、この先の狭井神社(さいじんじゃ)、檜原神社(ひばらじんじゃ)まで行くのですが、地図にすると、こんな感じでした。
大鳥居から大神神社の拝殿でお参りして、戻って、というルートをイメージしていましたが、そのまま三輪山の麓を歩いて行くのだそう。
ここで、僕は、一つ欲張りな考え(これが先ほどの作戦)が浮かんでしまい、檜原神社から戻ってくる時に「箸墓古墳を見たい」と提案しました。
その時には、まだ距離感が掴めていなかったので、一応、このまま先に行ってみようということになりました。
行き当たりばったりだけれど、この選択は、とてもよかったです。
大神神社久すり道
大神神社の儀式殿の脇に「久すり道」と書かれた参道がありました。
訪れた際には、あまりわからずに行きましたが、こちらが既に「狭井神社」の参道になっているのですね。
狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられている。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
狭井神社は、病気平癒の神様なのですね。
「久すり道」、そうとは知らず、石段を上るので健康に良いからかと思っていました。
両脇に薬草があるのであれば、もっとじっくり見ておけばよかったです。
この辺りから、何となく山の縁を歩く道になっていました。
「るるぶで見た「山の辺の道」って、こんな感じ?」
と僕が尋ねると、
「たぶん、ここが「山の辺の道」やで」
と奥さんが教えてくれました。
「医薬の神さま」という碑があり、「花鎮祭はなしずめのまつり」について記載がありました。
大神神社 磐座神社
久すり道から少し歩くと「磐座神社」に到着です。
なるほど、大神神社の摂社や末社が三輪山の周辺に点在しているのですね。
広い意味ではここも大神神社で、これからお参りする狭井神社も檜原神社も大神神社の敷地ということになります。
大神神社、とても広い神社なのですね。
社殿がなく、神の鎮まる頑固な岩(磐座)をご神座として少彦名神(すくなひこなのかみ)をまつる。少彦名神「神農さん」とも呼ばれる薬の神様。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
確か伊勢神宮内宮にも、磐座を祀った神社がありました。
神道は磐座を祀るところから始まったのでしょうかね。
狭井神社の境内
磐座神社から、少し歩くと、すぐに狭井神社に到着です。
鳥居の奥には池があり、辺りには鳥の声が響いています。
奥に赤い鳥居が見えましたが、「市杵島姫神社(いちきしまひめじんじゃ)」という弁天様をお祀りしている神社でした。
こちらの参道を歩いていると、脇に碑文がありました。
上皇后様が皇太子妃の時代、昭和50年の歌会始で詠まれた歌碑でした。
皇太子妃殿下御歌
三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めすと 祭りてあらむ
向かいの池の畔には、手水舎があります。
そしてその奥に三島由紀夫氏の「清明」の碑がありました。
大神神社の神事について「豊饒の海」で書いているのだそうです。小説を読んだことがないのでわかりませんが、「清明」という言葉は、この場所を表すのにぴったりだと思います。
狭井神社の薬井戸 (くすりいど)
参道を歩き、狭井神社の拝殿まできました。
三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤い。4月18日の鎮花祭は上古からの由緒をもち、「薬まつり」の名前でも知られる。また御祈祷・御参拝の際などには、以下の「鎮魂詞」を唱えていただきお祈りください。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
「狭井大神(さゐのおほかみ) 荒魂(あらみたま)守給(まもりたま)へ 導給(みちびきたま)へ」
荒魂を祀っている神社なのですね。
病気平癒の神様だそうで、参拝に来られた皆さんが、熱心にお祈りしている姿が印象的でした。
この拝殿の隣に「三輪山登拝口」がありました。
祈りの為の登山のみ許可されているそうです。
向かい側には「御神水」と書かれた場所がありました。
「薬井戸 (くすりいど)」と呼ばれる井戸があるのですね。
万病に効くという薬水が湧き出る井戸。「ご神水」として水を汲みに来られる方があとをたたない。
大神神社(おおみわじんじゃ)HPより引用
参拝に来られた方も、次々にこちらに来られ、手を合わせて、お水を汲んでいました。
何だか確かにご利益がありそうな気持ちになってきました。
病気が平癒しますように、という気持ちも大事ですよね。
傍に水琴窟もあり、綺麗な音が聞こえて来ていました。
大美和の杜
狭井神社の鳥居の前には「檜原神社(元伊勢)徒歩約20分」と案内板にありました。
「どうする、20分だって」
「行ってみる」
ということで、この道を歩いて行きました。
もしこの場所で、どうしようか迷っているのであれば、疲れているかもしれませんが、是非訪れてみてください。
僕らも春のとても気持ちのよい散策、参拝ができました。
最初は、舗装されていない山道で「本当にこの道で良いのだろうか」なんて思いながら歩いていました。
少し歩くと、木々の向こうに、ちらっと光るような眩しさを感じます。
場所をスマホで見ると「大美和の杜」とあります。
3月の中旬、まだソメイヨシノの開花までは随分かかりそうで、奈良の旅では桜は見られないかな、と思っていました。
しかし、彼岸桜の一種なのか、2本満開に咲く桜を見ることができました。
お一人、熱心に写真を撮られていました。
昨日は雨だったので、青空に桜は見られなかったのですが、たまたま通りがかった広場で、綺麗な桜を見られたことに、ちょっと驚き、感動しました。
近くに「大美和の杜展望台」という場所がありましたが、僕が見たのは「大美和の杜」という地点です。地図を置いておきますね。
狭井神社から檜原神社へ 山の辺の道を行く
大美和の杜から、再び歩きますと、先ほどとは別世界に来たかのような道にまりました。
日本昔話に出てくるような曲がりくねった路地の細道。
「ここ、山の辺の道かな」
「たぶん、そうだよ」
と言いながら歩きます。
山の辺の道、奈良と桜井を結ぶ山裾の古道で、日本最古の道とも言われています。
晴天で、爽やかな風が吹き、暑くも寒くもない気候です。
もう少ししたら、桜が咲いて、賑やかな感じになるのでしょうね。
枯野の奥に、一本の木が花をつけていました。
山の辺の道、最初はどんなにアップダウンのある山道かと警戒していましたが、山の裾野を歩くので、起伏はあまりなかったです。
しかし、ところどころ、山道だなあという箇所もありました。
それを超えると、また石畳の道になりました。
玄賓庵
少し景色が開けたと思うと、「玄賓庵」という案内が見えてきました。
玄賓僧都という高僧が修行したと伝わるお寺です。
やはり、この道が「山の辺の道」だったのですね。
玄賓庵山門には「三輪山」とありました。
昔は神仏習合でしたが、廃仏毀釈で、こちらに移られたのだそうです。
これより先は「撮影禁止」とありました。
道沿いを歩いていると、水音が聞こえてきました。
先ほどの狭井神社とはまた違った雰囲気で水が流れ、良い雰囲気でした。
檜原神社へ
玄賓庵からさらに進むと、山の辺の道は林の中へ。
動画のサムネイルでもここを使ったのですが、山の辺の道のなかで最も印象に残った道でした。
少し開けたところを抜けると、その先に鳥居らしきものがみえてきました。
檜原神社
正面ではないけれど、檜原神社に到着です。
正面からお参りするとこんな感じです。
大神神社、狭井神社に比べると、素朴な境内です。
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。境内には、昭和61年11月5日、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)が鎮斎されました。万葉集等に「三輪の檜原」と数多く詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなり、西につづく檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地であります。
檜原神社(ひばらじんじゃ) | 大神神社(おおみわじんじゃ)のHPより
なるほど、伊勢神宮の前に天照大御神が遷された神社なのですね。その役割を受けたのが、豊鍬入姫命で、ともにこの地で祀られているという説明です。それで「元伊勢」と呼ばれているのですね。
奥さんもそれ聞いて、一度訪れてみたかったのだそう。
まずは、檜原神社をお参りします。
後から写真wを見て気が付いたのですが、鳥居が3つあります。
三つ鳥居、三輪鳥居というのだそうです。
それ以外の雰囲気は、確かに伊勢神宮の雰囲気によく似ていました。
その隣には豊鍬入姫宮がありました。
大神神社の大鳥居から2時間弱、歩き続けてきましたので、檜原神社前のお茶屋さんで少し休憩しました。
檜原神社 桧原御休処
檜原神社の前に「桧原御休処」というお茶屋さんがありました。
奥さんはぜんざい、僕はコーヒーをいただきました。
綺麗な花が咲いていたのでお店の方に尋ねると「さくらんぼの木」だそうです。
15分ほどゆっくり休憩し、この先のルートを考えます。
今来た道を戻る、というのも一つのアイデアでしたが、下りながら、箸墓古墳を見てみたい、と言うと、渋々ですが、それでも良いということに。
檜原神社から歩いて行くと、檜原神社の駐車場がありました。
そのまま下に降りていくと、目の前にこんもりとした丘が見えました。
前の前に見えているのが「箸墓古墳」です。
このまま書き続けても良いのだけれど、ここで一度区切りにしたいと思います。
大神神社、狭井神社、檜原神社へと歩いた春の山の辺の道、気持ちよく参拝することができました。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。