箸墓古墳を歩く

箸墓古墳を歩く様子を記事にしました。檜原神社から歩いて箸墓古墳、大市墓を巡りました。巨大な古墳の様子と駐車場のことなどを書いています。

箸墓古墳を歩くことが出来たらいいなあと思っていました。
大神神社から狭井神社、檜原神社へと山の辺の道を歩き、帰りに箸墓古墳を歩くことができました。
宮内庁管理の陵墓である為、箸墓古墳へ立入できませんが、箸墓古墳の周りを歩いた雰囲気や、箸墓古墳の駐車場のことなどにご興味のある方の参考になれば幸いです。

目次

  1. 檜原神社から箸墓古墳を歩く
  2. 万葉まほろば線
  3. 箸墓古墳に到着
  4. 大市墓(おおいちのはか)
  5. 箸墓古墳の駐車場

檜原神社から箸墓古墳を歩く

僕はたまたま大神神社から檜原神社まで歩いたので、そのまま箸墓古墳へ歩くことにしました。
お茶屋さんに「箸墓古墳へ歩いて行きたいのですが」と尋ねると、「そのまま下の道を下ると行けますよ、少し狭い道だけど」と教えてくれました。

檜原神社から箸墓古墳を歩く
檜原神社から箸墓古墳を歩く

住宅街の細い路地を歩きますが、約20分ほどの道のりです。

檜原神社は山側にあり、景色を見渡せるような高台にあります。
そこから少し下りて行くと、前方に小高い丘のような森のような場所が見えました。

檜原神社から箸墓古墳 を歩く
檜原神社から箸墓古墳 を歩く

古墳というより、ほぼ山だな、と思いつつ、歩いて行きます。

檜原神社から箸墓古墳へ行く途中三輪山を見上げる
檜原神社から箸墓古墳へ行く途中三輪山を見上げる

振り返ると三輪山が綺麗に見えました。
確かに、何か歌にして詠みたくなった気持ちも理解できます。

途中、道沿いに古墳が一つ見えました。

茅原大墓古墳
茅原大墓古墳

4世紀末頃の「茅原大墓古墳」という古墳で、帆立貝式古墳という形なのだそうです。
確かに道から見ても丸い感じがわかります。
(本当は見てみたいけれど、奥さんは先に進みたいというので、眺めるだけでした)

檜原神社から箸墓古墳を歩く
檜原神社から箸墓古墳を歩く

田園地帯から、少し集落へ入っていきます。

万葉まほろば線

集落に入ると神社があり、さらに先には万葉まほろば線の踏切がありました。

万葉まほろば線の踏切から箸墓古墳
万葉まほろば線の踏切から箸墓古墳

渡ろうとすると踏切の警報音が鳴りま出す。
おお、これは電車がくるのでは、と待っていると、きました。

万葉まほろば線
万葉まほろば線

二両編成の列車、見ることが出来てよかったです。

箸墓古墳に到着

踏切を渡り、住宅地を抜けると、大きな森のような場所が見えてきました。

箸墓古墳
箸墓古墳

檜原神社から歩いて約20分、箸墓古墳に到着です。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

わあ、これが箸墓古墳なのですね!
いやあ、一度訪れてみたいと思っていましたが、来ることが出来ました。

箸墓古墳周濠はしはかこふんしゅうごう

奈良盆地の東南部,大和政権成立に係わる遺跡としてその一部が史跡指定されている纒向(まきむく)遺跡の中に位置する。東から派生する標高75m前後の低い尾根を核として墳丘が築かれ,墳丘の大部分は宮内庁により第7代孝霊(こうれい)天皇皇女の「倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことのおおいちのはか)」に治定され,良好な状態が保たれている。墳丘規模は,墳長290m前後,後円部径約165m,前方部長135m前後,前方部前面幅約158mであり,築造時期は3世紀中頃から後半と考えられている。墳丘及び周辺の発掘調査によって,墳丘の周囲には,幅約10mの周濠がめぐり,その外側に堤状遺構や外濠が存在する可能性が指摘されるなど,古墳の全体像が明らかになりつつある。突出した規模をもつ出現期の古墳であり,定型化した巨大前方後円墳の出現だけでなく,大和政権の誕生と発展過程及び当時の社会状況を知る上で重要である。今回,箸墓古墳の前方部墳端や周濠の存在が推定されている範囲の一部を史跡に指定する。

箸墓古墳周濠 文化遺産オンライン

前日、「NHKスペシャル 古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」でちょうど箸墓古墳のことを取り上げていて、見てみたいなあ、と思っていました。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

もうお気づきの方もおられると思いますが、こちらは宮内庁管理する「墓」となっています。
史跡の名称、遺跡名が「箸墓古墳」なのですが、お墓として管理されている古墳です。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

歩いていると、宮内庁の看板がありました。
「陵墓地につき 許可なく 立ち入らぬこと 宮内庁」

箸墓古墳周濠 宮内庁の看板
箸墓古墳周濠 宮内庁の看板

この看板は、なかなか面白くて「国有地なのに何で入れないの?」と質問主意書を出した議員がいまして、
Q「陵墓には宮内庁が立ち入り等を禁じる意思を示した看板が置かれている。この立ち入り等を禁じる看板はいつから置かれているのか。」
A「お尋ねについては、陵墓等への立入り等を禁じる旨の看板を陵墓等に掲示することを命じた明治六年十一月二日の太政官達以降、設置している。」

ウムム、明治の法律が今も有効なの?と思いますよね。
そしたら、やはり再び質問していました。
Q「答弁書によれば、陵墓への立ち入りを禁じる旨の看板は一八七三年十一月二日の太政官達以降設置しているとのことだが、この太政官達は現在も効力を持っているのか。」
A「御指摘の太政官達は既に効力を有していないが、現在では、御指摘の看板は、国有財産法(昭和二十三年法律第七十三号)第九条の五の規定に基づく陵墓等の管理の一環として、宮内庁により設置されている。」

なるほど、国有財産法なのですね。

第九条の五 各省各庁の長は、その所管に属する国有財産について、良好な状態での維持及び保存、用途又は目的に応じた効率的な運用その他の適正な方法による管理及び処分を行わなければならない。

宮内庁長官により、こちらはお墓であるから入れないですよ、ということなのですね。

「静安と尊厳の保持」が求められているので、わくわくしてしまうけれど、静かに巡ります。
石や土砂などで、少し積み上げられた様子があります。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

いやあ、ここが多分古墳のくびれた部分だと思いますが、箸墓古墳はとても大きいです!
僕が見た古墳の中では、一番大きい古墳でした。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

人が入らず、手つかずのままの時間が経過すると、こんな風になるのですね。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

周壕に沿って道路があるのですが、この道路も古墳の一部では、という段差がありました。

三輪山を見上げるこの場所は、とても良い場所です。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

この古墳の被葬者は誰なのか、興味がわいてきますね。

大市墓(おおいちのはか)

道路から、一筋、細い道がありました。
先にお一人歩いて行く方がいましたので、その方について行きます。
僕の後からも一組来ていたので、結構人気があるのですね。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

この部分が、最も古墳に近づける場所でした。
「触れてみたい」という気持ちをぐっと抑え、剥き出しの石や土を眺めました。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

この先に鳥居がありました。

ここが大市墓(おおいちのはか)なのですね。

大市墓
大市墓

「孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命 大市墓」とあります。
孝霊天皇の娘、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓という表記がありました。

大市墓
大市墓

倭迹迹日百襲姫命、どこかで聞いたことがあるような…

大市墓
大市墓

古墳の内部を調査できないので、いくつかの土器などが発掘されていますが、誰が被葬者なのかははっきりしておらず、ほぼ神話、伝承により倭迹迹日百襲姫命となっているのですね。

箸墓古墳
箸墓古墳

箸墓古墳については、いろんな言い伝えがあるのですね。

『日本書紀』には「箸墓」の被葬者と築造に関する記述があるほか(崇神紀)、「箸陵」近くが壬申の乱の戦場の一つとなったことが記されています(天武紀上)。前者では被葬者として記述される倭迹迹日百襲姫命の人物像や神婚譚、「昼は人が造り、夜は神が造った」「大坂山の石を運んで築造した」という「箸墓」の築造の様子などが記されています。

箸墓古墳 | 奈良県歴史文化資源データベースより引用

話には聞いていたものの、300m近くもある巨大な墳丘を見ると、やはり大きな権力を持った一族の墓なのだろうなあと思います。

箸墓古墳周濠
箸墓古墳周濠

箸墓古墳の駐車場

箸墓古墳から歩いてすぐの場所に車を停められる場所がありました。

箸墓古墳を歩く
箸墓古墳を歩く

僕も最初は車で来ることを想定して、駐車場を探していました。
ここが箸墓古墳の駐車場です、とは紹介できないものの、訪れた方々が停めていた場所がありました。

箸墓古墳の周辺
箸墓古墳の周辺
箸墓古墳近くの駐車場
箸墓古墳近くの駐車場

地域の方の善意で停められるようになっているのでしょうかね。

箸墓古墳近くの駐車場
箸墓古墳近くの駐車場
箸墓古墳近くの駐車場
箸墓古墳近くの駐車場

そのまま大鳥居へ向かい、車に乗りました。

大神神社から箸墓古墳を巡る
大神神社から箸墓古墳を巡る
大神神社大鳥居
大神神社大鳥居
大神神社大鳥居
大神神社大鳥居

約3時間ほどの参拝でしたが、なかなか気持ちよく巡ることが出来ました。

【謎の超巨大古墳】箸墓(はしはか)古墳の壮大なスケールを体感! #卑弥呼 #古墳

ほぼ周壕と小高い丘を見ただけでしたが、ずっと見てみたかった箸墓古墳に行けてよかったです。
そして、この後、香川に戻り、倭迹迹日百襲姫命を思い出すのでした。
そのお話は、また今度。
長くかかってしまいましたが、これで奈良への旅は終わりです。
また機会があれば、訪れてみていなあと思います。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

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