今回は 安田川の石舟を探して きたことについて書こうと思います。
もちろん安田川の石舟なんて聞いて、ああ、あれね、なんて思う方はこの世界にはわずかしかおられなくて、ほとんどの方は見たことも聞いたともないのだろうと思います。
まず安田川とかいて「あんだがわ」と読むところから、きっと驚かれるに違いないと思います。
そして、この記事を読んで「なんだ?石舟ってただの大きな石なのか」と二度驚かれることだろうと思います。
特に観光地や珍しいものではないので、いつもであればお読みいただくことや立ち寄ってみてください、とお勧めすることろですが、今回はそんな風にも言いません。
本当にこれは僕の個人的な興味で、一度行ってみたい、一度見てみたいとしか言いようがないところ。
いや、逆にそんなに言うのなら、とお読みいただけるのであれば、どうぞお付き合いください。
目次
バスのご婦人との会話から
もう何年も前の話です。
バスの中で乗り合わせた高齢の女性と、少し話をする機会がありました。
その方もあちこちへお出かけされるのが好きだったようで、こんなことをおしゃっていました。
村瀬食品の甘納豆のお話になり、
「大きな岩の船、石のある場所の近く…、じゃなかった?」
え、石舟?
そんなのが香川にはあるのか、と印象に残っていました。
その当時も、結構長い時間をかけて近辺の石舟を探していたのですが、結局見つからず、石瀬尾古墳群で出会った「石舟」から、僕は古墳の石棺を探して歩いたことがあります。
いやあ、石舟見て来たなあ、と満足していましたが、塩江の山の奥に、どうやら本当に石舟がある、というお話を見かけました。
何か山の史跡巡りをするツアーの募集だったと思うのですが「石舟を見ます」という文言があって「ああ、本当に石舟があるんだ…」と思っていました。
しかし、なかなかそれがどの場所にあるのか、どんなものなのかの見当がつきませんでした。
その後しばらくして、四国新聞だったか、香川県の不思議なスポットを紹介するコラムがあって(唯一面白かった記事なのに終わってしまって残念。)、そこで、安田川の石舟が紹介されていました。
「ああ、本当にあるんだ、石舟…」
と思ったものの、実際の場所がどこなのか「大体山の中」程度にしかわかりませんでした。
これは、ガイドや案内の方がいないといけないところなのかも、と思いながら、また年月が過ぎ、この春に道の駅塩江のカフェ「ほのか」へ立ち寄った際のこと。
何気なく積まれた雑誌の中に、塩江の史跡をまとめた冊子があって、あら、もしかしてこれなら石舟のことを何か書いてあるかも、と見てみました。
(ちなみに、ここのカフェのコーヒー、とても美味しいですよ。奥さんは雑貨が気に入っているようで、何度か訪れています)
ページをめくるとね、ありましたよ、石舟!
これとはちょっと違う地図でしたが、同じような感じのつくりでした。
ふむふむと眺めて見ると、国道からそんなに離れていないし、この場所を覚えておけば、行けるのでは、とじっと地図を眺め場所を覚えました。
そして、帰宅し、その場所をWEB上で探しますが、見当たらない…。
ただ、WEB上で唯一触れておられるのは、塩江のあれこれについて書いておられる塩江つれずれさん。
実は讃岐五景、讃岐十景の際にも、いろいろお調べになったことを書いておられて、大変参考にさせていただいていたのですが、いつだったかヤフーブログが閉鎖になりまして、一時期そのまま記事もお見かけしない状態になっていました。
これは大変と思っていましたが、その後記事を引継ぎ、アメブロで再開されていまして、満濃池の石碑にコメントをいただいた際、石舟のことも尋ねてみました。
するとこんなお答えが。
西桶というバス停の所、昔ローソンがあったのですが現在はソーラーが並んでいます。その横から南へ入ってください。「石舟」の所に看板ありますから通り過ぎてちょっと行ったところに車止められるスペース有ります。お気をつけて。
塩江つれづれさんのコメントより引用
おお!車で行けるんだ、石舟。
国道沿いの塩江ローソン。確か以前ありました。
そこから南…か。
そんな道、入っていけるだろうか、と思いながら、現地へ出発です。
「 安田川の石舟を探して 」いる記事を書いているのに、場所を最初から表示しては面白くないので、大体の場所で見て行きますね。
香川県のほぼ中央付近で、高松市塩江町の山の中です。
高松駅からは車で約40分ほど。
高松空港からだと15分ほどです。
国道沿いにバス(コトデンバス)も通っているので、最寄りのバス停は塩江つれづれさんが教えてくださった通り「西桶」です。
ローソンだった場所を確認して、いざ、車で走って行きますと…
こんな感じの入口なのですよね。
ドライブレコーダーとかではなく、帰りに撮った写真です。
よく見ていただくとわかるのですが、黄色い案内表示がありますよね。
この記事を書く頃には、もう工事は終わっていると思いますが、この看板があると、ちょっと入りにくかったです。
(結論から言えば、僕の行く道には関係がなかったが)
なので、そのままひゅーっと通り過ぎて、そのままホタルと文化の里公園へ。
ええと、もしかして、他の方も同じようにしてしまうと行けないので強調しておきますと、とても遠いです。
国道沿いを行っても4km以上ありますので、全くお勧めいたしません。
しかし、僕にはそれ以外に車を停めておける場所が見つからなかったので、ここに停めました。
まあ、このくらいの距離なら、僕は歩いても全く問題はないところです。
ホタルと文化の里公園周辺から、歩き出すと、近くの小学校が遠足だったのか、少しずつ集団でやって来ていました。
ムムム、これはなかなかカメラを向けることはできません。
まあ、仕方がないので歩き出し、天気も良いし、そのまま国道沿いを行っても面白くないので、ちょっと脇道にそれることにしました。
大きなイチョウの木のある岩部八幡宮の横を抜け、香東川の東岸の道を行きます。
ここ、サイクリングコースになっているのか、ブルーのラインが道沿いに引かれていました。
確かに、この道は気持ちが良いですよね。
東地のウバヒガン跡
これは全く偶然なのですが、道を歩いていると、何やら石碑が目に入りました。
東地のウバヒガンとあります。
お、何となくこれ見聞きしたことがある、と見てみますと、
ああ、そうでした。
結構古い木で、枯れてしまった、というニュースを見たことがあります。
香川県の天然記念物だったのですが、枯れてしまい平成19年に解除された、という内容でした。
ここにあったのですね。
その根を見ると、大きな木だったのだろうなあと思います。
帰宅後に調べてみますと、塩江つれづれさん(塩江に関することは、大体この方の記事が上位に表示されます)が、その後のことを書かれておられました。
香川県で最大で最古といわれ樹齢約400年であったが、惜しくも平成19年(2007)春に枯死しました。
ふるさと「塩江」や、「塩江町歴史資料館」、近隣の情報などなど。どうぞよろしくお願いします。さんのブログ 塩江つれづれ 東地にあったウバヒガンの子桜咲き始め!! 旧塩江小学校グラウンドより引用
そのウバヒガン桜の子桜が8本、旧塩江小学校のグラウンドで元気に育っています。
東地のウバヒガン、樹齢400年というのも凄いですね。
その西側にお墓のような一角(とても興味のある)が目に入ったのですが、これは今日はやめておきます。また次回。
何と言っても今日は 安田川の石舟を探して いるのです。
ガソリンカーの橋脚群
さらにそのまま進むと、川の中に大きなコンクリートが見えてきました。
おお、これがガソリンカーの橋脚跡なのですね。
ガソリンカー。正式名称は塩江温泉鉄道。昭和四年十一月、香川郡仏生山町(現高松市仏生山町)から塩江村(現塩江町安原上東)まで約十六キロで営業を始めた。ガソリンエンジンを積んだ四十人乗りの小さな車体は、「マッチ箱」と呼ばれ、親しまれた。昭和十三年、琴平電鉄に吸収合併され、同十六年には戦時統制下のガソリン不足で廃業した。
ガソリン道(塩江町―高松市仏生山町)-21世紀へ残したい香川 | 四国新聞社より引用
以前仏生山の森の記事を書いた際に通ったガソリン道。
ここまで続いていたのですね。
川の上に線路があって、小さなガソリンカーが走っていたのを想像すると、なかなか面白いですね。
とても景色がよいので、紅葉の時期なんかはトロッコ列車みたいで、よかったのだろうなあと思います。
歩いていて、そんなに道に不安はないけれど、たまたまこの辺りで家の前に出てきたご年配の方と会いました。
「すみません、西桶の方へ行きたいのですが、このまままっすぐで行けますか?」
「ああ、西桶、このままで行けるで」
「ありがとうございます」
という感じ。
僕の他には、誰も通る方はいなかったから、向こうの方も少し驚かれていました。
教えてくださり、ありがとうございました。
橋脚の先にさらに行くと、今度は小さなトンネルがありました。
車が一台通るかどうか、という道幅で、きっとこれもガソリンカーの時代に作られたトンネルなのでしょうね。
ええと、このトンネル、先が見えず、真っ暗でして、お昼の時間でも一人で中に入って大丈夫だろうか、という感じです。
しかし、ここで立ち止まっていても、仕方がありませんので、中へ。
ええと、何に似ているかと言えば、犬島精錬所でかつて見た芸術作品を思い出すようなトンネル内部です。
トンネル、入る時には出口は見えなくて、ちょっと行くと光が見えます。
かつてのガソリンカーの時代も、きっとこのトンネルを通るところは、一つの楽しみだったのではないかと思います。
光りから闇へ、闇から光へ。
こうした誰もいないトンネルを(もちろん誰かいても構わないが、誰もいないでほしいと願うところです)行くと、非日常感がありますね。
ふう、通り抜けました。
この道を歩きながら、この日人とすれ違ったのはお2人。
先ほど道を尋ねた方と、自転車で行かれた方のみでした。
ここは車もあまり通らないので、のんびり歩けて、穏やかなサイクリングコース、散策コースでした。
安田川の石舟を探して 山の中へ
もうこの辺で書き終わってもいいんじゃないか、という気もしますが、この日の目的の安田川にさえ着いていません。
トンネルを抜けたところで、そろそろ香東川西岸へ渡らなければいけません。
ここで狭い道を離れ、橋を渡ります。
この橋は中村新橋というのですね。
僕はよく知らなかったのですが、香東川って綺麗な川なのですね。
岩肌やその隙間から流れる透明な水を見ていると、とても気持ちが良いです。
あの奥の小さな橋は何だろう、渡れるのだろうか、など興味は尽きませんが、今日は先を急ぎます。
やっぱり塩江は名勝なのだなあという景色です。
橋を渡って、少し歩くと、国道193号線に出ました。
そこから今度はさらに北へ向かいます。
ずっと上の地図のように歩いてきて、やっと先ほど車で通り過ぎた西桶のバス停前に到着です。
駐車場からここまで、歩いて約1時間くらいでした。
左右を確認し、車が来ていないタイミングで横断します。
ちょうど道路の西側には、たくさんの像が置かれていました。
お寺の一部なのでしょうかね。
そして目の前にはコトデンバスの西桶停留所。
なので、ここまでコトデンバスで来ることもできますよ。
1時間に1本程度はバスがありました。
そして、教えていただいた、旧ローソンのメガソーラー。
ローソンがなくなったのに、気がつかなかったのですが、確かにコンビニ駐車場だった面影はありますね。
この北すぐのところに、広い駐車場のセブンイレブンが出来たので、その影響もあるのでしょうかね。
この道ですね。
標識には、「塩江町道 西桶安田線 平賀・安田方面」とあります。
市道になっているのですね。
ここからは少し上り坂が続きます。
もちろんここで引き返したっていいのですが、せっかくここまで来たので行ってみますね。
なるほど、これは行ってみたからわかることだけれど、車一台は何の問題もなく通れます。
しかし、対向車が来た際に、かわせる場所は限られているので、そうなったらうまく避けてください。(結局この道では2台の車とすれ違いました)
上るにつれ、次第に山の中とい雰囲気になってきます。
上るにつれ、次第に山の中とい雰囲気になってきます。
この辺りでかすかに水の流れる音が聞こえてきたので、安田川かもしれない、と思いました。
小さな橋を渡ると、曲がり角に看板があり、工事通行止めのお知らせがありました。
内容を見ると、結果的に僕の行く道には関係がありませんでした。
(もう工事は完了しています。)
「町道高畑安田線 平賀・西谷方面」という標識の差す方へ、さらに南へ、川沿いの市道(旧町道)を歩きます。
なるほど、これだけの道幅があれば、十分に車は通行できますね。
歩いているうちに、2台軽が通りました。
僕は対向車が来たら、嫌だなあという気持ちだけれど、普段走り慣れている方はこれが当たり前だろうから、向こうから車はそんなに来ない、という気持ちで走れるのだろうか、と上りながら考えました。
まあ、最初の回り道が良くなかったのか、この上り坂は結構きつかったです。
なので、時折立ち止まって、辺りを見て休憩しながら行きました。
ちょうどヤマフジというのか、薄紫色の花がいたるところに咲いていました。
藤の花というと、紫をイメージしてしまうけれど、実際にはそんなに濃い色ではなくて、本当にほのかに淡い紫、という感じでした。
さらに進むと、一つの標識がありました。
おお、これかな?と近づいて行くと、
「蹄の滝」という標識がありました。
標識があったので、その奥を見てみましたが、滝のような音はするけれど、どこが滝なのかはわからず…。
さらに先に進みます。
集落を抜ける
休憩所のような場所が見えてきたので、見てみます。
木製のベンチやテーブルなんかがあって、良い雰囲気なのですが、何と言っても他に人がいない為、ゆっくり休憩するという雰囲気ではありません。
しかし、下の方からは川の流れる音が聞こえているので、きっとこの下にも滝があるのだろうなあと思います。
マムシ注意、そうだよね…。
高松市ゆめづくり推進事業の看板で「終点」とありました。
何かの終点の案内なのでしょうね。
もう少し進むと、土木工事会社の看板があり、その先には、少し開けた場所がありました。
わあ、この辺は畑や集落があって、お住いの方がいらっしゃるのですね。
季節によるのか、鳥の啼き声が辺りには響いていました。
ホー、ホケキョなので、鶯でしょうかね。
一羽が啼くと、それに応えるように森の奥からもう一羽が啼き、またそれに応える。
僕の知らない山の奥で、鶯たちは、こうやって一日中交信を続けているのですね。
集落を抜けると、再び木々に囲まれた道が続きます。
歩いていると、一つの看板が目に留まりました。
「安田川土石流危険渓流 香東川水系安田川」とあります。
おお、やはり安田川はこの川だったのですね。
とすると、この川沿いに石舟もあるはず、と重たくなってきた足を前に進めます。
安田川の石舟を探して
前を見るとまっすぐに続く道と、左にそれる道がありました。
左へ行くと、川を渡ってしまうから、きっとまっすぐのはず、と進みます。
特に根拠はないのだけれど、川沿いの道を行った方がよいなあと思います。
その先に白い看板がありました。
これはもしかして…、
ありました、安田川の石舟の看板です。
僕が見かけた四国新聞の記事の解説が掲載されていました。
なるほど、いろいろな伝説が残っているのですね。
そして肝心の石舟です。
わかり難いですよね、僕もです。
左右を木々に覆われているので、その全体像をはっきりと見ることはできませんでした。
しかし、大きな石ですよ。
確かに、石舟と呼びたくなるような巨岩です。
昔の方は、川の向こう側へ行くのに、利用したのでしょうかね。
いやあ、見つけられて、見ることができてよかったです。
何となく手をあわせて拝みたくなるような安田川の石舟でした。
その後、元来た道を下って行きます。
さすがに疲れてきたので、帰りには国道沿いを歩きました。
ちょうど小学生の皆さんも学校へ戻られたところでした。
人の気配がなくなったホタルと文化の里のベンチでひと休み。
今回は安田川の石舟を訪ねましたが、長年行きたいと思っていたので、行ってみることが出来て、よかったです。
最初にその存在を教えてくださったバスのご婦人、行き方を教えてくださった塩江つれづれさん、皆さんの助けがあって、見つけることができました。
大変感謝しております。
ありがとうございます。。
さて、この後、再び別の日このホタルと文化の里公園にやって来ました。
そのお話は、また次回に書きたいと思います。
またよろしければ、お付き合いください。
それでは今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。