キトラ古墳四神の館へ行ったお話を書いておこうと思います。
石舞台古墳から、飛鳥宮跡、橘寺、高松塚古墳からキトラ古墳へ行きました。
キトラ古墳には、キトラ古墳壁画体験館 四神の館 キトラ古墳壁画保存管理施設があり、施設と特別史跡のキトラ古墳を見学した様子です。最後に奈良市内で宿泊、食事をしたことも書いていますので、ご興味のある方の参考になれば幸いです。
目次
- 高松塚古墳からキトラ古墳へ
- キトラ古墳四神の館 駐車場
- キトラ古墳四神の館
- キトラ古墳四神の館の展示
- キトラ古墳の石室レプリカ
- 四神の館 壁画ゾーン
- キトラ古墳発見、修復についての展示
- 渡来人の展示
- キトラ古墳の墳丘へ
高松塚古墳からキトラ古墳へ
高松塚古墳の駐車場からキトラ古墳へ向かいます。
石舞台古墳周辺から高松塚古墳、キトラ古墳と巡りまして、それぞれの間を車で行くと、5分から10分くらいで到着です。
上の地図で見てもわかる通り、高松塚古墳のすぐ南側にキトラ古墳があります。
僕は車で行ったので、駐車場から駐車場までは約5分で到着です。
もし歩いたら20分くらい、自転車だと10分くらいかなと思います。
キトラ古墳四神の館 駐車場
キトラ古墳近くの駐車場に車を停めました。
キトラ古墳周辺地区第一駐車場で、料金は無料です。
道路を挟んだ向かい側にキトラ古墳と四神の館が見えるのですが、駐車場側からその道路を横断するのは禁止となっていました。
確かに、信号や歩横断歩道もないし、車も次々に来るので、危ない感じです。
目の前にあるから、つい行きたい気持ちもわかりますが、階段で四神の館を経由していくルートになっています。
僕がこの駐車場に着いたのが16時過ぎで、急いで館内を見て、17時頃戻ってきたら、管理員の方が「閉めるから早く出てくれ」と言いに来ました。
四神の館も駐車場も17時に閉鎖なのだそうです。
この正面にキトラ古墳はあるのだけれど、写真の左側に一度下りて行く必要があります。(確かに車が次々に来る)
写真左上に見える建物がキトラ古墳四神の館で、壁画の修復や保存、公開を行っている施設です。
キトラ古墳四神の館
広場のような場所へ下りると、ワークショップをするような体験の部屋と、お土産売り場がありました。(帰りに色々買いました)
この一番奥に入口がありました。
なるほど、昔からある施設ではなく、2016年にできた施設なのですね。
施設の概要
施設の概要 | キトラ古墳壁画体験館 四神の館 キトラ古墳壁画保存管理施設より引用
キトラ古墳壁画保存管理施設は、平成28年9月にオープンしました。この施設は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区の「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」の1階にあり、当分の間、キトラ古墳の壁画や出土品を保存管理・展示する施設です。
最初に二階に上がり、修復施設を見学しました。
公開は年に数回あり、四神を数回に分けて公開しているだそうです。
公開すると混みあいますか、と尋ねると、時間指定の予約制なので、そんなに混む感じでもないですよ、とのこと。
キトラ古墳四神の館の展示
その後、1階に降りて、展示を見ました。
キトラ古墳、その名と壁画があることは知っていましたが、どういう古墳なのかはこちらに来てはじめて知りました。
キトラ古墳は7世紀後半~8世紀初頭に築造された円墳で、高松塚古墳に次ぐ、日本で2例目の壁画古墳です。石室内には四神などの壁画が残されており、国宝に指定されています。
なるほど、壁画に描かれた四神にちなみ「四神の館」という名がついているのですね。
1階展示室の入口に石室の復元レプリカがありました。
キトラ古墳の石室レプリカ
この石室のレプリカには、実際に中に入り大きさや図像を見られるので、とてもわかりやすかったです。
日本で唯一四神が揃っている古墳壁画だそうです。
一番奥が玄武。
僕は後から知ったのですが、四神の他に十二支も描かれていて、玄武の下には亥(い)、子(ね)、丑(うし)がいるそうです。
確かに、何か赤い紐のようなものがあるな、とは思いましたが、十二支だったのですね。亥は剥落が多く、僅かに見えているのだそうです。
こちらの青龍は先ほど高松塚古墳でも見たので、舌先で何となく全体がイメージできました。十二支の「寅」がいるのだそうです。
続いて朱雀。
こちらには綺麗な朱雀が描かれていまして、高松塚古墳の朱雀もこんな感じだったのだろうなあと思います。
ここには十二支の「午(うま)」が描かれていたそうですが、剥落した漆喰の壁に転写されるように残っていたとのことなので、壁には描かれていませんでした。
取り外して調査した成果ですね。
最後は白虎です。
高松塚古墳でも玄武と白虎は綺麗に見えましたが、ここでも鮮明でした。
意識していなかったので、ぼやけていますが、十二支の「戌」がこの辺りにいるそうです。
そして、素晴らしい星空の天井を見上げます。
じっと眺めていると、円がいくつか見えてきます。
円形の天文図、中国式の円形星図が描かれているのだそうです。
キトラ天文図の観測年代に関する「謎」 – なぶんけんブログより図を引用
ムムム、すごいですね…
白虎の側には銀の月、青龍の側には金の太陽が描かれ、本格的な中国式星図としては世界最古の実例だそうです。
被葬者は四神や十二支、星々に囲まれながら、眠りについていたのですね。
四神の図像に十二支の図像を、見ることができました。
日本では、十二支像の古墳壁画はキトラ古墳だけなのだそうです。
十二支、生まれは何年、という感じで、身近な気もしますが、この時代にはここだけなのですね。
被葬者が亡くなる前に描いたのか、亡くなってから描いたのか、誰が描いたのか、いろんな謎がありますね。
四神の館 壁画ゾーン
ちょうど展示室の真ん中には、壁画ゾーンがあり、ディスプレイで四神を映し出していました。
わあ、こうして見ると、緻密に模様が描かれているのですね。
こちらの映像では、青龍の顔がはっきり見えました。
古墳壁画としては唯一残っている朱雀。優美でとても美しいです。
朱雀門、朱雀大路、朱雀帝、こうして図像があると、具体的なイメージが湧いてきますね。
白虎も細かく描かれていて、躍動感がありました。
天井には天文図。音楽が流れていて、ずっと眺めていられそうな気がします。
古墳についての説明もあり、徐々にサイズが小さくなり、古墳時代の終末期を代表する古墳が高松塚古墳とキトラ古墳なのだそうです。
確かに、いろんな古墳と比べても、小さい気がします。
東アジア、中国や朝鮮との関わりが、壁画にあらわれています。
四国、善通寺にある武人の線刻画などはどちらかというと力強い九州の影響が強いのでしょうね。
飛鳥の壁画は、それらとは明らかに文化圏が違う感じがします。
高松塚古墳とキトラ古墳、こんなに近くに重要な古墳が並んであれば、当然その比較をしますよね。
その違いから、またわかってくることもあるのでしょうね。
キトラ古墳発見、修復についての展示
奥の方へ進むと、キトラ古墳発掘調査の歴史について展示がありました。
僕は何度かドキュメンタリーなどで見ていましたが、なかなかすごかったです。
まさか、このこんもりした丘の下に、国宝が眠っているとは、想像できないですよね。
最初はファイバースコープを入れ、石室内に壁画あることを確認(1983年)、15年後の1998年に他の壁にも壁画があることがわかり、2001年に朱雀が見つかりました。
どの年も、大発見に大騒ぎになり、大きなニュースになっていたのを覚えています。
本当に「世紀の大発見」という感じでした。
2003年、はじめて人の目で見ることができ、
壁画を外し、2013年まで調査と分析が行われたのだそうです。
実はこの後も調査は継続して行われていて、X線分析などが行われているそうです。
新たな十二支の姿などが浮かび上がってくるかもしれないと思うと、わくわくしますね。
渡来人の展示
高松塚古墳やキトラ古墳の壁画はどのような人々によって造られたのか、を解く鍵になるのが渡来人の存在です。
多くの渡来人の集落が見つかっているのだそうです。
そういえば、高松塚古墳から来る途中に「檜隈寺跡」という史跡がありました。
これらの技術を大陸から伝えたのは渡来人の一人に、檜隈民使博徳(ひのくまのたみのつかい はかとこ)という人物が紹介されていました。
僕はこの人物を知らなかったのですが、雄略天皇に活躍した渡来人だそうです。
ちょうどこの日に巡った周辺は、渡来人の痕跡が多く見つかっているのだそうです。
檜隈寺についての説明もありました。
あまり詳しくわかりませんが「東漢氏(やまとのあやうじ)」の氏寺ではないかと考えられているそうです。
今後調査が進むと、不明なことが多かったこの時代のことが、明らかになると良いですね。
キトラ古墳の墳丘へ
壁画や展示物を見ていると、のめり込みそうになってしまいますが、閉館時間が迫り、墳丘へ行かないといけません。何と言っても駐車場も17時まで。
階段を上り、地上へ出てきました。
いやあ、何だか石室の中にいたような気分になり、外に出たら爽快な気分です。
先ほど渡れないと地図で説明した横断禁止の道路です。
この日は雨がポツポツと降っていましたが、青空が広がったら、また綺麗だろうなと思います。
四神の館から、1~2分歩いて行きます。
キトラ古墳の墳墓への道、何となくその名だけで趣がありますね。
台の上に紙を載せ、鉛筆でこすると図柄が浮かぶ、という趣向ですが、真夏は熱くなるのだそうで、雨の時も使えません…残念。
おお、あの上の丸いのがキトラ古墳でしょうか。
高松塚古墳同様、特別史跡に指定されています。
石舞台古墳、高松塚古墳に次いで、この日3つ目の特別史跡。
令和6年3月現在、日本には全部で63の特別史跡がありますが、そのうちの3つがこのエリアにあるのですね。
特別史跡、四国には香川にある「讃岐国分寺跡」のみなので、さすが奈良は文化財の宝庫だなあと感心します。
あらためて目の前でこうして見ると、その小ささに驚きました。
これが山の中にあっても、普通は古墳だなんて、誰も気が付かないですよね…。
僕はいつまでもここで眺めていたい気持ちでしたが、閉館10分前。
そろそろ戻らないといけません。
キトラ古墳、見ることが出来て、本当によかったです。
この後、奈良市内で宿泊しましたが、長くなるので、その話はまた次回にします。
それでは、今日はこの辺で。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。